「ぶどうをもらったんだけど、
美奈ちゃん、お家にいる❓
今から届けようかなあと思って」




お隣の鈴木さんから、

電話をもらった。




お隣と言っても、


私が中2から社会人2年目まで
住んでいた、


父の会社の社宅住まいの時の、

30数年前のお隣さんだ。



社宅は、

昭和丸出しの狭くて古い長屋

のようなところだった。


一軒家の社宅に住んでいた大阪

から引っ越してきて、

はじめて見た時には唖然とした。


5人家族で3K。

キッチンもトイレもお風呂もすごく狭い。


唯一の六畳間に、

高2、中2、小4の三姉妹が

ぎゅうぎゅうになって暮らすことになった。

勉強机は置く場所がなく、廃棄された。


トイレはタイル張りの和式、


トイレの手洗いは、ひねるツマミが

下向きの蛇口の口に付いている

昭和レトロなもの。

    ↓ 


お風呂オガライトという

薪のような燃料で炊く

薄暗いタイル張り。


オガライトは、

今でこそアウトドアで

使われるアイテムのようだが、


思春期女子には

友だちに知られたくない

ただの薪だった。




友だちを呼べないつらい住環境


(それでもしばらくすると友だちを呼んで遊ぶ、

楽天的社交術と強靭なハートを持つ三姉妹であった)



なぜか

家の中よりも

共通の芝生の庭の方が広く、

「私、芝生に住みたいわー」

と本気で言っていた。


中2で思春期真っ只中の私は、

新幹線代をすぐに貯金し始めた。

「大阪に帰ったるねん‼️」


(帰っても親戚もいないので、

後に、大学は関西を受けるぞ‼️と決意。

しかしそれも、母の急逝と同時に

ヤングケアラーとなったことで、

近隣の進学先しか選べなくなるのだが…)



でも住めば都(都ほどではなかったが)、

広い芝生続きの

長屋のような社宅の暮らしは、


物理的には狭くてつらかったが、

精神的には温かくて安心できた。



社宅に住む家族はみんな仲良しだったが、

特にお隣の鈴木さんとは、

ふだんからお醤油を貸し借りし、

お風呂が故障した時には数日間、

家族全員で鈴木さんの家に行って、

順番にお風呂に入らせてもらったりした。




私が高3の秋、

母が心筋梗塞で急逝した。


その時も、

親戚のように悲しみ、

日々気にかけてくれて、


おかずを届けてくれたり、

洗濯物を取り込んで

畳んでおいてくれたりした。


個人情報もへったくれもない時代で、

当時は、国立大学

(一部の私立大学も)の合格者一覧が

地方新聞に掲載されていたので、


私の大学合格は、

いち早く新聞で私の名前を見つけてくれた

鈴木さんの奥さんが教えてくれた。


鈴木さん一家は、その後、

市内に一軒家を建てて、

わが家よりも早く社宅を出て行った。


姉が就職した後、私と妹も就職して、

三姉妹とも社会人になった。

(4つ下の妹は、高卒で就職したので、

四大卒の私と同じ年に社会人になった)


父娘4人、全員のお給料で、

社宅を出て一軒家を借りた。



私が30歳の時、

一軒家に住んで6年ほど、

定年退職して2年の

父が心筋梗塞で急逝した。


父の会社の同僚の方たちが

駆けつけてくれた。


中でも、

社宅も一緒だった同僚である

お隣の鈴木さんは、


すぐに駆けつけてくれて、

親戚のように、亡き父に抱きついて

わんわん泣いてくれた。







今年の8月上旬、
共通の知人の連絡先を聞くために、

鈴木さんに電話をしてみた。


話すのは、

父が亡くなった少し後の

私が30歳の時以来なので、

もう26年も経っている。



それでも、

電話で近況を話すと、

隣に住んでいた時の心の距離感

一気に戻って、


まるで母も父も生きていた

社宅生活時代の自分に戻った

ような感覚だった。

懐かしかった。





その電話から1カ月後

今日9/3、


鈴木さんの奥さんが、

隣に住んでいる時のように


「美奈ちゃん、ぶどう食べる❓」


と電話をくれたのだ。


「わあ、食べます、食べます❗️」


20分ほどして、

ご夫婦でうちまで届けてくれた。


近況や昔の社宅暮らしのこと、

話は尽きない。


「親戚も遠いから三人でどうしているかなあ」

と気にかけてくれていたそう。


お花見の名所である、

うちの両親が眠る霊園に行き、

事務所で場所を聞いて

お墓参りしたりしてくれていたそう。


知らないところで、

私たちや父母に

想いを寄せてくれる人がいたことが

本当にうれしい。



近いから、また会いましょう、

ということになった。



母と父が築いてくれた人間関係、

私たち三姉妹に染み付いている

人とのコミュニケーションの仕方。

(人懐っこい❓いや、図々しい❓)



近くて神奈川県、

ほとんどは福島県、

遠くはアメリカにいる、

かなり年上のいとこたちも、


子どもの頃にはほとんど面識がないのに、


うちの両親のことを

「大好きなおじちゃん、おばちゃん」

と慕ってくれていて、


両親が亡くなってからは

「力になるよ」

といつも気にかけてくれる。


両親が亡くなってからの方が

おばやいとこと

物を送り合ったり、行き来したり、

連絡を取り合っているくらいだ。


すずのことも、

ブログやInstagram、

Facebookを読んで

みんなが応援してくれている。



この目に見えない財産が、

両親亡き後の私たちを

支えてくれている。




私たちの人脈や

人との関わり方が、


すずにも、

そんなお金ではない財産

なったらいいなあと思う。


何か支援してほしいというような

実質的なことを期待しているのではなく、


私たち亡き後、

「すずちゃん、元気にしてるかな❓」

と気にかけてくれる人が周りにいたら、

うれしいなあと思う。




鈴木さん、

ぶどう、ありがとうございます。

とってもおいしかったです。

また、遊びに来てください。



☝️

三島産のシャインマスカット✨

カッテージチーズとともに。