気持ちの整理のために
ひとりごとをつらつら書きます。
喪中ということより、
年末年始の時期に
おかあさんがいないことへの
違和感がすごくて、
今日からすずは新学期、
パパは会社、
という日常が戻ってきて、
どこかほっとしています。
すずが笑わせてくれたり、
困らせてくれたり⁉️🤣
疲れさせてくれたり⁉️🤣
しなかったら、
この寂しい時期を
乗り越えられなかった
と思います。
はじめて竹山のご両親に会ったのは、
2002年の12月30日でした。
餅つき機だけどお餅をつくから
つきたてのお餅を食べにおいで、
と誘ってもらったのです。
「親父は変わり者、
お袋はほとんどしゃべらない。
でも来るの楽しみにしてるから」
という不安しかない家族紹介を受けて
伺ったのですが、
私は大阪出身、
おかあさんは京都出身、滋賀育ち
で話が弾んで、
お酒🍶も進んで(おかあさんは飲まない)、
初対面なのに
泊まらせてもらったのです。
次に伺ったときには、
「うふふ、美奈子さんのお茶碗とお箸、
買っちゃった💕」
とにこにこしながら
ご飯をご馳走してくれました。
そのときから19年、
年末年始は、
ずーっとおかあさんと
キッチンでおしゃべりしながら、
年越し蕎麦やお節を作ってきました。
↓写真は、
すずが6歳〜10歳くらいのこの時期
じいじが富山出身なので、
かまぼこは
富山の昆布巻のものと、朱赤のもの。
私は切ったり盛り付けたりするだけでした😅
お雑煮も、鶏と
にんじん、ごぼうのささがきだけの
シンプルな富山風。
お腹一杯になると、
近所を散歩しました。
いつもすずを見ていてくれるおかあさん。
そのおかあさんがいない実家の
キッチンに立つのは
本当につらいけど、
一人になったじいじを元気づけに、
私の姉妹も一緒に
元旦のお昼を食べに行きました。
喪中だけど、
おかあさんの味に近づくように、
お餅も一升だけついて、
お雑煮を作りました。
米粒が残っているくらいに
お餅をつくのが竹山家流です。
右端の遺影のおかあさんは、
やっぱり見守ってくれているようでした。
あらためて、
これまでどれだけ
おかあさんに支えてもらっていたんだろうと
感謝の気持ちと寂しさが込み上げてきて、
今日は涙が止まらないなあ😭
少しずつ、少しずつ、
進んでいきますね。
おかあさん、ありがとう。
ゆっくりしてくださいね。
さあ、今日から私も新学期だ💪🏻