東京都港区元麻布 賢崇寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

今回は、麻布を散策です。

 

 

賢崇寺です

 

本堂と元麻布ヒルズ

二十二士之墓

二・二六事件で受難した「二十二士」も葬られている。これには死刑となった19名に、自決した野中四郎・河野寿の2名、相沢事件で死刑となった相沢三郎が含まれている。当初は遺体の引渡しすらままならなかったが、栗原安秀の父勇が自ら当寺に入門し、当時の住職・藤田俊訓と共に墓建立に奔走した。毎年2月26日・7月12日に合同慰霊祭が執り行なわれる。現在の墓碑は、昭和27年(1952年)7月12日第十七回忌法要時に建立された。

 

鍋島家墓所

鍋島家関連の墓は31基あり、全て五輪塔である。当初葬られた鍋島忠直、その父で初代佐賀藩主鍋島勝茂、勝茂に殉った重臣30名、忠直の兄で小城藩初代藩主の鍋島元茂、9代藩主の鍋島斉直やそれらの妻が葬られている。10代藩主鍋島直正の墓もあったが、平成11年(1999年)春日山に移された。

賢崇寺由緒

佐賀鍋島藩歴代藩主の菩提寺で寛永 12年(1635)の創建。10 代藩主直正は日本ではじめて種痘を行い、明治維新の原動力のひとりとして活躍した。詩人蒲原有明、国学者久米邦武、「真白き富士の嶺」の哀歌で知られる七ヶ浜沖ボート転覆事故犠牲者の逗子開成中学生徒や、2 .26事件受刑者22士の墓がある。
2002年、石畳に改修された参道は、以前は84段の石段でした。昭和20年4月15日の空襲で本堂、庫裏、開山堂、霊廟鐘、位牌堂、土蔵の一切が焼失しましたが、昭和47年4月に本堂が、50年4月には鐘楼も再建された。

 

御朱印なしです