群馬県館林市楠町 善導寺 榊原康政墓所 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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どうする家康では、もう亡くなってしまった。

個人的には、小平太の頃の方が好きです。

榊原康政とは

安土桃山時代の武将。徳川家康直属の有力部将で譜代大名。幼名小平太、官名は式部大輔。三河一向一揆で家康に敵対した家老酒井忠尚の小姓であったといわれる。1560年(永禄3)岡崎に帰城した家康に属して近臣となり信任を得、三河一向一揆で初陣を飾り、家康の一字を与えられ康政と称した。永禄末年、本多忠勝と同じ旗本一手の軍団を指揮する部将に取り立てられた。五か国領有時代を通じ旗本部将でつねに第一戦で軍功があり、同様の地位にあった本多忠勝、井伊直政とともに三傑と称せられた。関東入部後は上野館林で10万石を与えられた。関ヶ原の戦い後、忠勝、直政とともに参陣した大名の論功行賞にあたり、政治の中枢にあった。