松平家墓参りの最後は、家康の父 松平広忠の墓参りです。
どうする家康では、飯田基祐さんが演じていました。
松平広忠とは
戦国時代の武将。三河松平家8代目。岡崎城主。清康の子。徳川家康の父。10歳のときに父清康が織田信秀と戦うため、尾張守山へ出陣中に家臣の阿部弥七郎に刺殺されたため、大叔父信定に岡崎城を追われ、伊勢、遠江、三河を流浪。のち今川義元の後援を受け、1537年(天文6)ようやく岡崎に帰ったが、以後も松平家では今川・織田勢力を背景に内紛が続いた。そうしたなかで41年、三河刈谷城主水野忠政の娘 於大と結婚、翌年に竹千代が生まれた。その後45年安祥城を攻め、47年には戸田康光の拠る田原城を陥れたが、織田信秀の来攻に際し、竹千代を人質として今川義元に救援を求めた。竹千代が駿府に赴く途中、田原付近で戸田康光に奪われ、織田氏のもとへ送られたのはこのときである。のち三河平定に尽くしたが、天文18年3月、近臣岩松八弥に刺殺された。
厭離穢土欣求浄土