岡山県岡山市北区高松稲荷 最上稲荷山妙教寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

今回は、大晦日に岡山遠征した模様をお伝えします。

バスタ東京を21:00に出発し、岡山駅に6:30に到着しました。

岡山駅を6:44発の電車に乗り、最寄駅の備中高松駅には7:11着。

ナビで見ると、40分くらいです。

 

駅から5分くらい歩くと大鳥居があります。

目指すのは、最上稲荷です。
ほぼナビ通りの時間で到着です。
当然、8時前なので店は閉まっています。参道は、600Mあるそうですあるそうです。
お笑い芸人のハナコ秋山さんの実家の売店もあるそうです。
仁王門
御水舎
本殿(霊光殿)
旧本殿(霊応殿)
 
 
妙見堂
最上稲荷妙教寺由緒
最上稲荷の歴史は、今から1200余年前にさかのぼります。 天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。
 以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。
 伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、1200余年の歴史を紡いできた最上稲荷。本尊の「最上位経王大菩薩」は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。また脇神として、水の神さま「八大龍王尊」、開運を招く「三面大黒尊天」が最上尊とともに本殿に祀られ、最上三神と呼ばれています。その教えの基調となる合掌の心(お互いに拝み合い、いつくしみ合う心)は広く信仰を集め、「不思議なご利益をお授けくださる最上さま」として、今なお多くの人々に親しまれています。
 
最上稲荷御首題
最上稲荷御朱印
 
 

また、40分かけて駅に移動です。