どうも、岡山•奈良京都での遠征は無事帰還しました!
前回の、続きです。
水谷八重子さんの墓よりすぐの所に、笠置シヅ子さんの墓所があります。
笠置シヅ子さんと言えば、この曲でしょう。
笠置シヅ子とは
生後まもなく大阪市福島区の米・薪炭商・亀井音吉の養女となる。昭和2年小学校を出ると同時に大阪松竹楽劇部(OSK SKDの前身)に入り、三笠静子の芸名で活躍。10年笠置シズ子に改名。13年東京に移って松竹楽劇団の旗揚げに参加、ジャズ歌手として売り出す。パンチのある唱法で注目される。14年松竹映画「弥次喜多大陸道中」で映画デビュー。戦後の22年服部良一作曲の「東京ブギウギ」を日劇で舞台せましと歌い爆発的にヒット。その歌声は、たちまち全国に広がり、敗戦後の暗い世相を吹きとばした。以来、服部とのコンビで「ヘイヘイブギ」「ジャングル・ブギ」「さよならブギ」「ホームランブギ」などを連発、“ブギの女王”として一世を風靡した。ボードビリアンとしても売り出し、日劇「歌う不夜城」や有楽座「エノケン・笠置のお染久松」(24年)に出演した。25年の「買物ブギ」はレコード45万枚を売り尽くし、「ワテホンマニヨーイワンワ」は流行語になった。女優としても映画「浮世も天国」「銀座カンカン娘」「ザクザク娘」などに出演。だがブギが下火となった30年代以降は歌手をやめ、芸名を笠置シヅ子に改名して女優に専念、映画「河内ぞろ」シリーズや「日本侠客伝 浪花篇」などで脇役として活躍した。この間、テレビにも数多く出演し、42年以来13年間TBS系の「家族そろって歌合戦」の審査員を務めた。