神奈川県逗子市沼間 海宝院 石原慎太郎墓所 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

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今回は、令和4年2月にお亡くなりになった元都知事 石原慎太郎さんの墓参りです。

 

石原慎太郎さんと言ったら、歯に衣を着せぬ発言と強いリーダーシップを発揮したイメージです。

 

石原慎太郎とは

小説家、政治家。神戸市生まれ。船舶会社に勤めていた父の転勤で、北海道小樽、神奈川県逗子と転居。湘南高校を経て一橋(ひとつばし)大学法学部に入学したが、社会学部に転じて1956年(昭和31)に卒業。この間、休刊中の『一橋文芸』を復刊し、『灰色の教室』や『太陽の季節』を発表。後者は文学界新人賞および芥川賞を受賞。その反逆的な心情と遊戯的な性意識が昭和30年代の若者に爆発的に歓迎され、いわゆる「太陽族」の出現を促した。1968年、参議院選挙全国区に自民党から立候補して、史上初の300万票を得て第1位で当選。1972年衆議院議員に転じ、1976年福田赳夫内閣の環境庁長官、1987年竹下登内閣の運輸大臣を歴任。1995年(平成7)議員を辞職、政界からの引退を表明した。その後1999年東京都知事選挙に出馬して当選し、2011年(平成23)に4選を果たしたが、2012年10月辞職。同年12月の衆議院選挙では日本維新の会から出馬し当選、国政に復帰した。2014年、衆議院選挙で日本維新の会から分党した次世代の党から出馬したが落選し、政界を引退した。2015年、旭日大綬章を受章。主要作には『完全な遊戯』(1958)、『日本零年』(1963)、『化石の森』(1970)、『生還』(1988)、『天才』(2016)などがある。また、ソニー会長(当時)盛田昭夫との共著、『「No」と言える日本』(1989)は、アメリカでも話題となった。なお、俳優の石原裕次郎は弟。その裕次郎の死を描いた長編に『弟』(1996)がある。

 

 

石原慎太郎さんが亡くなられた1ヶ月後に、奥様も亡くなられたんですね。