今回は、長岡に遠征をしました。
上越線に乗り北長岡駅下車し15分移動しやってきたのは
金峯神社です。
社号標
二の鳥居
駐車場を挟んで拝殿があります
神馬像 金峯神社では 流鏑馬神事行われています。
拝殿
金峯神社由緒
和銅2年(709年)元明天皇の勅願により北国鎮護のため大和国吉野山の蔵王権現[1]を分霊して古志郡楡原の地に創建されたと伝える。修験者秋葉三尺坊をはじめ僧徒山伏修験者数千人の勢力だったという。秋葉三尺坊は後に信州戸隠を経て遠州に渡り一大修験勢力を築いたという。しかし戦に破れ三島郡矢田の地に隠遁し仁治3年(1242年)現在の又倉村の地に遷座したという。信濃川河川交通の重要地であるこの地に門前町を築き、軍事勢力を持ち蔵王堂城を築き長岡の町の基礎を築いた。河川沿いの長い丘状に発展した町の様から長岡という地名が起こったという。
なお、『長岡市史』では楡原からの遷座年は不詳で、大島荘川崎郷保倉村に移転し、同村は蔵王村に改称したとされる。
南北朝時代にはこの地を巡って激しい戦いが繰り広げられた。当時既に越後国を代表する霊場として広く知られていた。蔵王堂城主堀直竒は信濃川に欠けるこの地から平方原に城を築城した(長岡城) 江戸時代、天海により別当寺の安禅寺が真言宗から天台宗に宗旨替えとなる。
元和年中に社殿炎上して古記録が焼失。慶安2年(1649年)に徳川家光は朱印三百石を寄進された他、越後長岡藩主牧野家は40石寄進し、守護神と崇め家督相続の折には必ず参詣した。
明治維新に神仏分離令により神祇と決して別当寺の安禅寺は分離・廃寺となり、蔵王堂は金峯神社と改名。新潟県最初の県社に列す。
明治40年に社殿炎上し、大正2年(1913年)再建。
金峯神社御朱印です。
そろそろ神社用の御朱印帳が切れそうなため購入しました
次回は、隣の安禅寺です。