東京都渋谷区広尾   祥雲寺 | 神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣巡礼日記と墓マイラー日記

神社仏閣を参拝しております。
休みを利用し、地方にも遠征をしております。

最近は、歴史上の人物の墓や著名人の墓参りが主に成りつつあります。
基本的に、神社仏閣巡りの方•墓巡りの方のみ承認します。
スピリチュアル系は、拒否しますのでご承知下さい。

今回は、年末に散歩した模様をお伝えします。

自宅より埼京線に乗り渋谷に移動し、30分歩いて訪れたのは祥雲寺です。

恵比寿から歩いたら10分でした・・・・

山門

鼠塚

黒田家墓

黒田長政墓

本堂

祥雲寺由緒

祥雲寺は、大本山が特賜興禅大燈国師開山の京都紫野大徳寺で、山号を瑞泉山という。
筑前福岡城主黒田忠之の開基で、開山は龍岳宗劉。はじめ忠之の父・長政は、龍岳の道徳を崇敬し、しばしばその法話を聞いていた。
長政が元和9年(1623)に歿すると、忠之は父の冥福を祈るために、赤坂溜池の邸内に一寺を建立。 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺と号し、龍岳和尚を請じて開山としたのが、当山の起立である。
龍岳は、石州の人。大徳寺塔中玉林院開山・月岑和尚の嗣法で、寛永3年(1627)、後水尾天皇から竺仙大法禅師の微号を賜わり、同5年(1628)に寂した。
寛永6年(1629)、麻布台いまの市兵衛町に移り、号を改めて瑞泉山祥雲寺と称した。寛永8年(1631)、火災に罹りふたたび渋谷に移転、すなわち現在の場所である。
江戸時代を通じて、当山は大徳寺派の触頭として、寺格を別格地と称し、登城して将軍に単独で謁見することと乗興とを許された寺で、幕府との関係も深く、歴代将軍の立ち寄ることも多かった。
住職は2代目以後輪番制で、明治になり廃した。
本尊は釈迦牟尼仏。境内は6,000坪。末寺には現在8寺ある。

HPより

 

御朱印ですが住職が不在の為とのこと・・・ご縁がなかったかな

次回に期待!