一つの例を挙げます。
近くの神社の例大祭の写真です。
フラッシュ無しで撮影しました。
朝から夕刻までの間、
市内を練り歩いた「神輿(みこし)」が
境内に戻ってきて、
最後、社の中に御魂を入れするために、
「押し引き」する儀式の真っ只中です。
フラッシュを使用して撮影してみました。
写ります。
何枚撮影しても写ります。
オーブ現象自体は、
「ほこりや、光の屈折や、乱反射」
などで科学的に証明されていて、
デジカメ時代になってから、よく写る。
なんて、話や、
いやいや、
霊魂だ、心霊だ、
なんて、話が、
ずーーーーと、
昔から繰り返されています。
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この写真のオーブが、
「ほこり」か? 「霊」か?
を言いたいのではありません。
カメラの条件を変えると、
肉眼では、
「見えないもの」
が、
「見える」
ということです。
余談ですが、
この写真は2007年に撮影し、
そこから、3年後の2010年
まで、毎年、同じカメラで
例大祭の写真を撮影しましたが、
2007年以降は撮れていません。
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菌にしろ、ほこりにしろ、
日頃から、肉眼で見えないものばかりです。
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著者は、これまで、
様々なものを「視る」
努力をしてきました。
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自分で言ってるぐらいですから、
たいした努力じゃ、ないでしょう。
その中でも、
「人」に関わる「見えないもの」には、
いまだ苦戦中です。
人の本心
人が発する言葉の真実
人の努力
人の願い
人の想い
人の背負うもの
人の痛み
全部ではありませんが、
「形状」として残らないものがほとんどです。
製造業である以上、
できた製品を見て、
その努力や苦労は「想像」できます。
ただ、
「継続する努力」「願い」「痛み」「本心」
などは、
「想像」するだけでは、
なかなか「視る」ことができません。
著者が、今、課題として取り組んでいるのは、
「想像」+「相手の行動」+「相手の言動」
+「相手の姿」+「相手の背負うもの」
を見て、考えた上で、
「さらに想像」
することが、
「視る」
ことへ、つながると信じ、
日々「意識」し続けることです。
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著者の好きな言葉の中に、
こんなのがあります。
成長しようとする者にしか
壁を感じることはできない
これはもしかしたら、
「見えないものを視る」
を選択した人が、
残した言葉なんでしょうね。