思ってたのと違ったこと

 

 
 

おそらく2000冊以上

あるだろうと思われる

亡き父の残した蔵書

その中に 

ずっと気になっている

本がある

「どうしようもない私」

 <山頭火伝>

このタイトルが

どうも 父が

「お前も読んでみ」と

言われているような

気がしてならなかった

 

今日の朝刊で

たまたま この

「種田山頭火」と並び

同じように”自由律”と

称する季語にこだわらない

俳句を作った

「尾崎放哉」のことが

書かれている記事が

ありました。 

この尾崎放哉のことも

著者にも書いている

父が

自由奔放に生きた

このふたりに

興味をもったのは

自分の人生を重ね

肯定したいからだと

思っていました

 

そこでいま 

父の書いた山頭火論を

読んでみました

 

「どうしようもない

わたしが歩いている」

 

どうしようもない・・・

  (ので)

わたしが歩いている・・・

  (のではない)

どうしようもない

わたし(山頭火)が

歩いているのである

その日の米・酒代を

求めるために

鉄鉢を手に街を歩いて

食を乞う。

妻子を捨て 気ままなくらしを

人の情けにすがり

酒に酔えば その人の

情けも裏切る

” どうすること ”も出来ない

意志の弱さは

ひたすら歩いて

行乞(こじき修行)を

つづけるほかない

・・・・と父は書いてる

​​​​

つづきは

まだありますが

旅をしたということから

芭蕉と並べられるけれど

わたくしは

もってのほかと

考えている

・・・と結ばれる

 

 

読み終えて

父の一面を知って

いまごろ 遅いけど

なんか うれしい気持に

なりました

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