今年の夏はとにかく暑い汗

涼、プラスおいしいものが欲しいひらめき電球

柳川の「うなぎのせいろ蒸し」が食べたい(=⌒▽⌒=)

即、行動である。


午前9時、とりあえず南の方向に出発してから、カーナビをセットした。

福岡市内から高速で1時間30分ぐらいである車


午前10時30分、柳川到着フラッグ

柳川と言えば、有名な「どんこ船」である。

乗船場の駐車場に、とりあえず車を停めた。


松月乗船場の方から、大人一人1,350円で約1時間のコース、かつ

船着場が「若松屋」(うなぎ料理)さんの前との説明を受け、飛び乗る。


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途中、橋に頭をぶつけそうになるあせる 低い・・・


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いま風のアパートや、何気に干されてい洗濯物には

風情を感じなかったが、きれいにしている家もあった。

地域(風致条例等)で観光というものを考える余地を感じた。




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柳川高校のテニスコート(暑いのに練習大変そう汗)の横をすぎ、

しばらくすると若松屋さんの前で川下り終了である。



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午前11時30分

少し早いが、混雑する前に待ちに待ったウナギを食すメラメラ



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鰻のせいろ蒸し・上 (肝吸付) 2,310円

うまい・・・やっぱり、うなぎはせいろ蒸しに限る・・・アップ

このために今日は来たのである合格



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近くの「松濤園」(旧藩主立花家の庭・日本三景の一つ

である松島を形どって造られている)に移動し、食後の

コーヒーを楽しむ。

地元の人だろうか、結婚式を挙げていたラブラブ


どんこ船の乗船場(車を停めた場所)行き無料バスの

発車時間まで、しばし近くの北原白秋の生家で過ごすこととした。


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近代日本の大詩人である北原白秋は、明治4年、この写真の家(柳川市

沖端)で生を受けた。16歳の時に家の大火を経験し(母屋と蔵が一つだけ

現存)、傷心の白秋は詩歌の創作に熱中したという。


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早稲田大学に入学(1900年・明治37年)し、「邪宗門」・「思い出」

等の詩集に始まり、「東京景物語」・「桐の花」などの詩歌集のほか、

「とんぼの目玉」、「赤い鳥」などの童謡集など、枚挙に暇がない。


白秋を知らないという人も、「雨ふり(雨雨フレフレ)」・「待ちぼうけ」など、

聞いたら誰もが知っている作品も多く残している。



バスの時間が迫ってきたため、白秋の生家に隣接する白秋記念館で

トイレを済ませておくことにした。


トイレの中で、彼のエピソードをふと思い出した。


深い交友のあった与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)宅を訪れた際に、

厠(トイレ)のおとし紙に、自分の原稿が使われていたことにひどく立腹し、

吉井勇とともに「明星」を決別したという・・・・・。


おそらく与謝野さんは、エコのつもりで・・・・


・・・・・・いずれにしても、日帰り旅行として、とても充実した一日であったクラッカー


以上


ピグライフ同様ニコニコ


実生活においても、自分で食べる野菜は、

畑(家庭菜園)で作っています汗


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先日、宅配便の配達員の方が、畑まで荷物を持ってきてくれました。

その時の会話は、次の通りである。


【配達員】:ご不在だったものですから、畑かと思いまして・・


【 私  】:ごめんなさい。

       今度から、ドアに「畑におります」と貼り出しておきますね。


【配達員】:宮沢賢治みたいですねwww。


【 私  】:www 「でくのぼう」という点ですかwww

      確かに6尺(約180センチ)以上ありますが、

      私の場合は、雨にも負けて風にも負けて、

      特に、この夏の暑さに負けておりますwww

      wwwwそれにしても暑いですな・・・

      ちょうど休むところでした、うちでお茶でも飲んでいきませんか。


【配達員】:いつもありがとうございます。

       次がありますので今日はこれで失礼します。



 以上は、何気ない日常会話であるが、

世に知られることなく早世した詩人宮沢賢治が

市井に広く知られていることを、改めて実感させられた。


 彼の膨大な作品の大部分は死後に発表されたものであるが、

『風の又三郎』(未完・1939年)、『銀河鉄道の夜』(1941年)などの

児童文学が彼を有名にした。


 そんな宮沢賢治であるが、私は、彼の少年時代の

 次のエピソードが特に好きである目



 賢治少年が小学生の時のことである。

乾一(かんいち)という同級生が、先生に怒られ、

水のいっぱい入った茶碗をもたされ、廊下に立たされた時のことである。


 休み時間になって先生がいなくなり、皆が集まり乾一をからかっている。

乾一は水をこぼさないように必死である(こぼしたら先生に怒られる)。

歯をくいしばり必死の形相で両腕をあげているのである。


 乾一の周りに面白がって大勢集まり、乾一をからかっている。

「先生なんかなんだ。乾一、水なんか飲んでしまえ」と、はやし立てる。

「先生おこるもん、ぼくこわいよ・・・」、乾一は震えながら泣いている。


 乾一は限界である。その時である。

 そんな乾一の様子に見て見ぬ振りが出来なくなった賢治少年は、

 さっと駆け寄り、茶碗の水を一気に飲み干してしまった。


 この時、周囲の子供たちは、唖然とし、

 想定外の状況に言葉を失ったという。


 賢治少年の行為に皆さんは何を感じるだろうか?

 うまく表現できないが、何とも言えない心地よさを感じるのは私だけだろうか。


 現代社会においても、学校・会社・メディアなど、

あらゆる場面で乾一をからかった大勢の子供たちと同じタイプの人間を

しばしば目にする。


 残念ながら、一歩踏み出した賢治少年と同じタイプの人間を

目にすることは少ない。


 果たして、私は、一歩踏み出すことができるだろうか・・・・・。



そんなことを思いながら、畑仕事に性を出している。

今年の夏はとにかく暑い。


温暖化の影響だろうか、不思議なくらいゴーヤが良く採れる。

博多の街でゴーヤ?

博多の気候が沖縄なみになったということかな?


とりあえず、今夜もまた、ゴーヤちゃんぷるを作ろう・・・・・叫び



以上


先日、ヤフードームに行ってきたアップ

ラッキー7の風船を飛ばしながら、ふと変な思索をめぐらせてしまったはてなマーク


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人間として生まれて良かったと思えることは難しい。

どれだけお金があっても、名誉があっても人間には

やはり、むなしくなる時があるのである。


哲学とは、精神の自由を目的とする学問である。


現代教育においては、良いことばかり教えて悪いことは教えない風潮がある。

本当に必要な学問は、不幸や悪いことにどのように対処するかではないだろうか。


道草のような学問かもしれない。

しかし、その道草が人生を楽しくするように思えてならない。

普通の人と同じ世界に住んでいながら、見方が違うのである。


哲学者のハイデッカーが言うように、精神ほど価値のあるものはないのである。


世の中すべての人が敵でも精神が強ければ動じないのである。


主観性は良く言えば強さであるが、悪く言えば独断的(ひとりよがり・

何にも通じない・人から外れている)ということにもなる。


しかし、「わからずや」ぐらいでないと人間として面白くないし、

また人生を切り開くこともできないように思う。


ただ、人の迷惑を考えなければ生きていけないという側面も当然ある。

逆に、人とうまく付き合うだけで、個性がない人間でもいけない。

つまり主観と客観を併せ持っていなければならないのである。


譲れないことは決して譲らず、自分の大切なことでも

相手に譲れる場合は他人を受け入れる強さ・・・。

これは本当に難しい。


どうでもいいことは通説・判例・多数意見に従い、

譲れない場合はどんなに少数意見でも主張する。

簡単なようで難しい。普通の人間は流されてしまう。


自分と自分をめぐる世界観が大切であって、

皆の話を聞いてから自分の意見を言う。

まったく話を聞かずに自分の意見を言ってはならない。


ここでいう「皆の話を聞く」ことがとても重要であり、

そのために古今東西の賢者の哲学に触れて、

それらを考察して、自分の意見を決定していかなければならない。


哲学をお勧めする理由はそこにある。

今後、ブログ内で古今東西の哲学者のエッセンスをご紹介して

いきます。


古い意見(書物)は、長い歴史の中でもまれており、

深さをもっているので、現在の書物より、やはり重みがある。


人生とは、一つの選択であり、選択することが人生である。

完璧は無理でも、精一杯努力して選択しなければならない。


どういうところに根拠をおいて選択するか。

後悔しないためにも読書によって精神を磨くことが必要である。


当然、人の意見を参考にすることは大切なことであるものの、

自分の目で見たものが真実であることに変わりはない。


この世の中に決まっていることは何一つなく、

全て自分の目で判断しなければならないのである。


そうすることが精神的な豊かさを生み、世界を探求することに繋がるのである。


また、それこそが危機的な諸問題を救う唯一の手段であるように思えてならない。


最後に、ドイツの抒情詩人であるヘルマン・ヘッセの詩をご紹介して筆をおきたい。


『独り』


地上には

大小の道がたくさん通じている。

しかし、みな

目ざすところは同じだ。


馬で行くことも、車で行くことも

ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。

だが、最後の一歩は

自分一人で歩かねばならない。


だから、どんなにつらいことでも

ひとりでするということにまさる

知恵もなければ

能力もない。


以上、「本・読書」をブログジャンルに設定した理由にかえて・・・。


勝利の花火爆弾ドンッ爆弾ドンッ


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