高校始まって以来の秀才だったが家が貧しく大学進学を諦めていたが、周囲の勧めで牛乳配達をしながら進学を目指し海上保安大学校に入学
後に、海上保安大学校出身初の海上保安庁長官に登りつめる著者




海上保安庁に入ってからは、パイロット志望を諦め、苦しい訓練に耐え、当に「現場」へ飛び込み、

関西空港テロ防止
フランスからのプルトニウム輸送護衛、
尖閣諸島防衛
能登半島沖事件
九州南西海域工作船事件

そして、東日本大震災 


中国公船との対峙




いままでのうのうと、ヌクヌクと生きて来て申し訳ございませんでしたと、愕然とさせられる


そこに横たわるのは、日本の置かれた厳しい現実



現場にいる人達は昔から北朝鮮が日本でやりたい放題な事を知っていた



人員も予算も足りないのに、やるべきことはどんどん増えている海保



元日も休み無く荒れ狂う大海原で日本の海を護り続けてくれている、ただただ、感謝しかない







朝鮮戦争で機雷掃海を担っていたのは最初、海保だったと言うのは初めて知った事実だ