三方ヶ原の合戦について
調べておりますヾ(@^▽^@)ノ
一応
講談師としては
入門して最初に教わる話なので
基本のキではありますが
改めて調べておりますf^_^;
フムフム、
武田軍が大軍を率いて
徳川家康の領土に侵入(。・m・。)
武田方は事前に
近くの領主には
寝返り工作をしており
その人たちの案内で
スイスイ領内に入ってくる(ノ゚ο゚)ノ
敵は
通り道の城を攻略したり
民家を焼き払ったりしながら
家康のいる浜松城へ進軍。
そのまま
真っ直ぐ浜松へ攻め込む
かと思いきや (・・?..)?
西に踵を返して
三方ヶ原へ方向転換 (_Д_*)
すずなら
あー、向こうに行ってくれて
よかったぁ~ε=( ̄。 ̄;)
と、思うところですが
戦国武将としては
ここでビビって出なければ
家来にも他国にも
示しがつかないっ(・ω・)b
手勢は信玄の
半分以下だけど
心ある者は我に続け~
ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ
という風に
自軍の士気を鼓舞し
相手を付け上がらせない為に
三方ヶ原へ出陣をするのですが・・・・
結局
多勢に無勢で
家康は命カラガラ
戦場から逃げ帰る羽目になり
恐怖に震える家康自身の姿を
描かせたのが、この「しかみ像」です。
この
三方ヶ原の合戦は
ハッキリした資料が少ないとかで
諸説あるのですが
完全に不利な状況で
最大限のしのぐ工夫をし
家臣たちが精一杯それに
応えるというところに
思わずホロリとしてしまいました(TωT)
具体的なところは
講釈場で聞いて頂くとして( ̄ ∀ ̄)
あ、でも
そこはそんなに
頻繁には掛からないので
気になる方は本を
読んで頂きまして~(*^.^*)
今夜のところは
大変今更ながら
合戦物の面白さを知った
というご報告でした~(●´ω`●)ゞ