今回のブログは僕には胸に来るキューが強すぎて、なかなかアップできなかった部分です。
妻の、すずのココロの奥の想いが書いてあります。
何度読んでもココロにズシンと響きます。


すず、遅くなってごめんな。
なかなかココロが整わんかってん。
わかるやろ。
ほんま、なかなかに寂しいで。想像以上にな。
オレそんなに強くないしなー。
でも、半年経って少しは強くなったやろ?
たまにしか泣かへんし。
強なったとこちゃんと見てくれてるか?

やっとこの日の日記アップしようって思えたよ。
なんにも付け加えんとアップするわな。


伊勢旅行から帰って病院で採血、輸血

 
「余命1ヶ月の花嫁」を途中まで読んだ。
この人は乳がんで、私は血管肉腫だけどすごく病気は共感できる部分がある。
ただ、この人は余命の告知を拒否していて病気自体を受け止めていたか?については違うかなと思う。

  
●これまでの病気のことを書いてみようと思う●
 
1年前、右胸が痛くなって半年前にはゴルフボール大のしこりを発見。
乳腺専門医のいる○○○○○病院へ行ったけど、「乳がんじゃないから半年放っておいたら治ります」と言われ半年様子を見るが3月、4月にどんどん大きくなった。
別の個人病院を受診、「診た感じ良性だと思うけど、念のため」とした細胞診の検査では注射針に白い液体が採れたけど、成分は血液で先生も「なんだろう??」と
 
大きい検査をしようということで、再び○○○○○病院
前回誤診をした先生じゃなく 個人病院の先生が診てくれたから一安心
MRIを撮る前にした血液検査でひっかかり、とにかく数値が悪いので明日から緊急入院に。
病気のことも訳もわからず 血液内科と乳腺外科のある○○病院へ入院。
 
最初はやらずにすむなら、と輸血も敬遠していたけど先生の話でそんなことを言っているレベルではないと理解。
そもそも私の場合、DIC(炎症部分、この場合は腫瘍に血小板などがどんどん消費される)を起こしていて輸血しないで助かる方法はないとのこと。
すぐさま輸血が施される。
輸血にアレルギーがでてアレルギー用のお薬を入れながら、量を適量に減らしていく。
 
腫瘍に太い針を入れてパチンと細胞を採る検査は、出血のリスクがあるから敬遠していたけどやらないと何もわからない、とのことで強硬突破。
意外と出血は無事止まった。治りが悪かったけど。
採れた細胞はほんの少しで、中がスポンジのようで5回するもきちんとした細胞が採れず、出血のリスクを考えこれで終了。
他の機関にまわす。病気がわかる場合と、わからない場合があるとの説明を受ける。
 
入院中、DIC治療の点滴は24時間いれたまま。足がむくみ、腹水がたまり、体重は+7kg増。
咳がでて、苦しくなり酸素を使うようになる。どの態勢でも苦しく、眠れない。
5月6日が手術日で、前日に撮ったCTでひっかかり先生が告知にくる。
「肺にも胸にも水がたまってて、転移してて、もう手術できない」
先生いわく、腫瘍をとる手術自体が痛いだけで何も意う意味を成さないと・・・
転移部分はどうにもできないと・・・何も治療はないと。
 
「先生の見立てでは、あと余命どれくらい生きられる?」と聞くと
「・・・・数週間・・・・」
あと1ヶ月もつかどうかくらいだと。
危険なのは
・腫瘍が破裂する危険性
・肺がどこまでもつか
ここまで転移が進んだ肺では酸素を送ってもいつまでもつか・・・と
突然1人で聞いた話のわりには冷静に的確にいろいろなことが聞けたと思う。

 
いさと家族は別々に先生に話を聞き、さすがにいさの前では泣いてしまった。
この人を置いていかなくてはいけない、私がいなくなったあとのいさの人生を考えたらかわいそうで泣けてきた。
 
この日から、これまでしていた手術に向けてのDIC治療という入院名目はなくなり
延命に切り替えられ、外泊許可がでた。
2泊の外泊許可がでたので、気分転換に有馬温泉へ行くことに。 

 
肺や胸にたまっている水に圧迫されて息があまり吸えていないとのことで、家には酸素を置いてもらって、移動用の酸素ももらって一安心。
いさいわく、背中をさすったら背中も腫れていたとのこと。
足のむくみはマッサージすると静脈に戻って水分が出ていくとのことで、いさは暇さえあれば1時間でもマッサージをしてくれた。
そのおかげで、マッサージ中にどんどん尿意をもよおし、また先生が処方してくれた利尿剤の効果もあって水分は順調に出ていった。
10分おきくらいにトイレに行くときもあった。とにかくどんどん出すようにした。
 
有馬では、酸素も車椅子も使うことなくゆっくりだけど自分で歩いて、美味しくて体にいいものを食べて、温泉でゆっくりした。
いさと改めて話し、いさは「奇跡」を望んでいることを知った。
人間の生命力だけで延命できるなら、がんばろう!!!がぜんやる気がでた。
 
病院へ戻ったときにはすっかり水が出て元気になって、輸血してまた外泊許可で家へ帰った。
オトンやお姉がいろいろな病院へかけあってくれて、資料がほしいと先生に頼んでいたら
先生から電話があり「腹水もなくなって、体調がいいなら、もう1回CT撮ってみよう。積極的な治療ができるかもしれない」と提案が。
 
病院でCTを撮ると、なんと腹水ばかりか胸水や肺の水も抜けていた。
右の肺に5mmの影があるものの、前回のCTとは全然違う。
前回のCTは右の肺が完全に白い影に覆われていた。
今回のはすっきりしている。
腫瘍に圧迫されて右の肺が沈んでいるものの、生活には支障ないレベル。
 
先生は「あのDICの治療でこんなふうになる人はいないんやけど」と不思議がっていた。
良くも悪くも、私にはそれが起こってたまたま水がたまって
利尿剤やマッサージで排出されたから、手術可能なレベルになったってこと。
すごいね。
 
今回のCT結果を見る限り、腫瘍を撮る手術は可能とのこと。
もちろんDICを発症しているので手術自体に危険は高い、全身麻酔すら危険。
でも以前のように水はみられず、大きな転移もみられず、
希望するなら腫瘍を撮ってインターロイキン2を投与する治療も可能とのこと。
インターロイキン2とは、血管肉腫に使用される薬で
私の場合はDICを起こしているのでこの薬しか使用可能な薬はないらしい。
白血球の数を増やしてガンと闘わせるお薬。
副作用は、高熱の発熱など
抗がん剤ではないので、毛は抜けないし嘔吐もあまりないとのこと。
ただ、これも効くか効かないかわからないし、治る見込みは可能性としては低い。
 
先生に聞いてみた
「今の状態だったら、何もしなかったら余命はどれくらい?」
先生「半年はもたないと思う」
それを聞いて、「1ヶ月が半年になった!」と思った。
思ったと同時に、迷いがでた。
 
いさと2人で相談した。「どう思う?」と・・・
ひとつは、治療せずに(もちろん輸血などは受けながら)このままいけるとこまで生命力でいって、苦しい思いをせずに家で楽しい思い出をつくるって手もあるよ。
 
そしてもうひとつは、治るかわからないけど治療に専念して、入院して、手術して、インターロイキン2で何ヶ月も治療して、完治を目指して闘うか。どう思う??
 
結果・・・やっぱり、希望にかけようと。
このまま何もしなかったら、やっぱり半年後には死んでいるかもしれない訳で
もちろん治療の道を選んでも 死期が早まる可能性もある。
インターロイキン2を投与してどんな反応がでるかわからない。
転移があるのか、ないのか。
闘った結果、体がどこまで弱るのか。
せっかくの残った時間をガンに費やして、いさや家族に苦しむ姿を見せるのか。
楽しい思い出を作れる時間をなくしてしまうのか。
 
 
いろいろな葛藤はあるけど、「やってみたい」「闘ってみたい」
希望の道があるなら。
 
先生にそれを伝えると、先生は3ヶ月先まで手術はいっぱいだけど、来週の木曜日にできると言ってくれた。
手術日、決定。5月20日。
 
 
これが、ここまでの道のり。
 
とにかく、いろんな人が動いてくれた。
 
先生は、何かできないかと文献を探してくれたり積極的に治療をするというチャンスをくれた。
自分も治療をして失敗するのはこわいだろう。
でもチャンスをくれたことに感謝。
 
オトンやお姉はとにかくいろいろ病院にかけあってくれて、 
オカンや妹は暇さえあればお見舞いに来てくれる。
お店もあるのに。
でも、見舞い率が一番高いのはお姉かな。笑
 
オトンの知り合いの○○さんには気功の先生を教えてもらったり、
オカンの友達の店長の知り合いには遠隔ヒーリングでパワーを送ってもらったり、
義理のお兄さんは願掛けでボウズにしてくれたり、笑
がん封じのブレスレットやお守りをもらったり。
○あちゃんはがん封じのお寺へ参ってくれて。
お姉は特にいろいろ動いてくれて、旅行のことを調べてくれたり、お金が苦しくなったら私が出すと言ってくれたり、病院を探してくれたり、私にとっ て良い方角のお水取りのことを教えてくれたり、とにかく持ち前のバイタリティで動いてくれてケーキを持ってきてくれたり病室を明るくしてくれる。
いさは腰痛にもかかわらず体を起こしてくれたり、ワンコの世話や家のことを全部やってくれて、入院から仕事も休んでずっとそばにいてくれて、足がむくんだときはマッサージを沢山してくれて、とにかくあったかい。とことん頼りにしてる。
 
みんなに、感謝、感謝です。
いろいろな東洋医学やパワーを知ることになったのも病気になって新たな発見でした。
失った信仰も取り戻しつつあります。
 
ガンになった原因は、ストレスが原因ともあって・・・・
それはすごく思い当たる。
出産、死産でとにかく胸に抱えこむ思いが強くて
虎ちゃんの出産後は、とにかく子供を見るのも嫌で向き合えなくて、今にも爆発しそうな思いがずーっとあった。
そんなことも病気になった原因の1つだったんじゃないかと思う。
 
でも、不思議なことに
病気になった今。
命がものすごく有難くて、今ここにいることがとても感謝の連続で、
子供のことも すうっと嫌な腫れものが取れたみたいに 嫌な気持ちがなくなった。
「どうしてこの人には子供がいて私は授かれないの」って妬みは、自分自身に命を与えられること自体が素晴らしいことなんだって。
失いかけていた、いさとの2人で歩む人生が続いていくだけで、とっても感謝の気持ちでいっぱい。
人をどうとかこうとか、そういう思いはなくなりました。
まだ、生まれたての赤ちゃんは見れるかわかんないけど・・・ でも、今までとは別の視点で見れると思うな。
こういうのも、病気になって良かったこと、得たものののひとつ。

これからは、病気を乗り越える試練を受けたいと思う。
がんばるぞ!!!