コミュ障な人達


職人の世界は伝法相承である。つまり師弟関係の中で代々技術が伝わってきた。世界最古の会社は日本の金剛組だったりする。株式会社としては終わりを告げたが、現在でもある会社の一部門として健在だ。私は職人の端くれとしてとても残念な思いではあるが、今も途絶えてはいない事に感銘を受ける。助け舟を出す企業があるからだ。

昔の技術には手間と時間が掛かる。会社を維持して後継者を育てる事は至難の業だ。現代の人件費や材料の高騰で、技術を守り人を育てる事は大変困難である。効率が最優先の現代では手間にお金を払う気持ちも無くなりつつある。最近では職人ですら使い捨ての道具が当たり前となり、自ら最良の道具を作る職人も皆無だ。そもそも自分の道具も大切にはせず、すぐ無くすし他者の道具も平気で無断で使う。大抵そういう輩は大した仕事もできず、若い世代に技術を伝える術もない。


言葉も道具と言える。論語に


曾子曰、吾日三省吾身

曾子がこうおっしゃいました。 私は1日に3回我が身を振り返ります。


為人謀而忠乎

人のために真剣に物事を考えてあげただろうか


与朋友交言而不信乎

友人と接するときに誠意を持っていられただろうか


伝不習乎

まだ自分がきちんと理解できていないことを、受け売りで人に教えはしなかっただろうか


道具は持っているだけでも使うだけでも飾っているだけでもいけない。使いこなす事に価値がある。何十年と使い込んだ道具こそ「愛着」が出るのだ。精神病に陥りやすい人には、ここに問題がある。愛着障害だと言われる由縁だ。言葉を暗記しただけではいけない。言葉も道具と同じ様に自分の体の一部として使いこなす事で相手に伝わる。

覚えた言葉(技術)でも心が宿り他者の為にもなる、パクリではなく自分にしか持っていない言葉で伝える。これが言葉の使い方であり、結果的にコミニケーション能力に繋がる。


言葉を暗記する以前に人を受け入れる勇気を養う事だ。健常者は親子関係でそれを養う。仏教や職人の世界での師弟関係とはここに理由がある。完璧な親など存在しない。子は親の間違いも受けれなけれないけない。明治以降の日本人の様に自分にとって都合の良い所だけ受け入れる「いいとこ取り」では人は育たないのだ。日本人はここの間違いに気付いていない。親がヤクザで前科があるのならば、子はどうしてそうなったか答えを出すべきだ。でなければ子は親と同じ人生を辿る。親が犯罪者でも著名人でも子が受け入れる苦労は同じだ。


言葉は諸刃の剣だ。助けにもなるが、どこまでも人を陥れさせる事も出来る。統計的に日本は海外に比べ性的虐待より精神的虐待の方が多いのだ。


言葉には力が有るが価値は無いのだ。