中国でのキリスト教信者は国家公認非公認を合わせて10%だそうだ。非公認教会は地下教会と呼ばれ、共産党の権力に怯える日々だ。例え公認教会だとしても、礼拝中に共産党員が常に監視をしているのだと牧師から聞いた。信仰も命懸けである。


一方日本のキリスト教信者は1%である。内カトリック教会は0.4%である。共産主義国よりも少ない数字だ。韓国でさえキリスト教信者は30%である。日本はキリスト教会にとって大変難しい国である。私は様々な人から「日本がキリスト教を受け入れない」理由を聞いた。自分でも調べたが納得する答えは見つからなかった。宗教戦争や宗教を利用した植民地支配、十字軍や免罪符、宗教裁判、多神教などどれも答えの様に聞こえるが、日本でも内戦や世界大戦を経験しているし、武装した坊さんもいた。日本人は外国人を奴隷にしようという発想はないが、女子供を散々利用してきた。私は日本がキリスト教を受け入れない事が悪い事だとは思わない。日本の文化の中にキリスト教は無いから日本人が理解する事は相当に難しいと思う。私は日本人に教会へ来て欲しいとは思わない。私は外国人と関わっていければそれで良い。日本人と関わったところで私には成長というメリットがない。何故なら日本人は人を褒めないからだ。むしろキリスト教の愛を誘惑や執着をもって利用するだけだ。


日本人は愛のリテラシーがあまりにも低すぎる。


日本語の愛には、性が含まれ聖が含まれない。日本の子供が引きこもったり、勘違いをした人間が育っても当たり前だ。発達障害然り。これが日本にキリスト教が浸透しない理由なのだと思う。しかし別の見方をすると、愛の理解や表現が出来ない代わりに、物や金、仕事で表現して結果的に良い商品や良い文化を残している。つまり個人に愛の理解が低いが、文化に愛が含まれている。故に日本の文化を遮ってキリスト教が入る隙がないのだ。日本人は透明な心に物、金、文化というペンキを掛け、心を具現化している。


発達障害に多い特徴のひとつに被暗示性がある。つまり騙されやすいし思い込みが激しい。おまけに虚偽記憶(過誤記憶)も厄介である。発達障害は自分という基準がはっきりしておらず、他者に依存したり合わせる事で自分の代わりとする事が多く、結局自己の成長には繋がらない。こういう人が教会にやってくる。宗教依存予備軍だ。集まる事は良いのだが、集めてどうするのかだ。


騙されやすい人はある意味素直とも言える。教会へやってくる人は心の悩みを抱えた人が多い。しかし心の問題を解決するのは本人でしかない。他人が行えばただのマインドコントロールだ。病んでいる(悩んでいる)人はリテラシーを上げる必要がある。騙されない為だ。自分から騙されに行ってはいけない。宗教とは全て偽物だ。仏像も磔刑像も偽物だ。紙幣も紙切れである。それを見抜けない人は、自分自身が偽物だ。教会も心も金も人と繋がっているからこそ価値がある。本物とは偽物の向こう側に存在する。仏像の向こう側、磔刑像の向こう側、お金の向こう側に本物の価値が存在する。それが見えたのならば、間違った行いはできない筈だ。その為の信仰だ。宗教、仏像や磔刑像、お金に価値があると思い込んだり共同幻想に価値があると思っているのならば、まだまだ暗示にかかっている状態だ。