様々な相談を受けていて、ある一つの共通点に気づかされた。それは困り事としんどさの切り分けができないこと。
例えば、水泳で1000m泳げば途中から疲れてペースが落ちてくる。まさにしんどい状態。だけどそもそも遠泳なんてしんどいものだから当たり前なことでそれに困ることはない。
一方で、私の野球での長年の課題は左打席での打撃だった。常に試行錯誤し、毎週毎にフォームが変わっていった。試合途中で打ち方を変えた経験も幾度もある。まさに困り続けてきた。がしかし、それで心が重くなったしんどさを感じたりはしなかった。
以上の例のように 困り事としんどさは切り離すことができれば心を病むことはない。
人間関係が辛ければ、人間関係とはそういう辛くしんどいものだと思っておけば良い。 困って直ぐにどうこうなるものでもない。人間関係に困っていない人など1000人に一人もいないだろう。皆それぞれにしんどさと戦っていると思うよ。
一方で、ミスが多いことに困っている人も多いかもしれないが、それは方法論で解決できる領域が極めて大きいので解決するまで困るべきではないだろうか?困ってしんどいと言うのは解決を放棄しているのと同じでないだろうか?
しんどさはある一定は受け入れないといけないし、困り事は解決するまで試行錯誤し続ける必要がある、そのように私は思う。
まずは今私は困っているのかしんどさを感じているのか、その切り分けへのフォーカスが生き辛さ対処法の第一歩かもしれないの