先日、岸和田に行く用事が続いたので、思い切って自転車で行ってみた。今は自転車に最適な時期。片道1時間弱の道のり。少々不安だったが思ったよりへばらなかった。
その2日後、今度は光明池へ。岸和田に比べると距離は半分ほど。これくらいなら楽勝、と思っていくとこれが結構辛い。体調も毎日違うし、大きな上り坂があったなど条件は違うが、はるかに短い距離なのに。
そのことを自分なりにまとめてみた。そして出た答えが『見通しの甘さ』と言う事。遠い距離は疲れることを覚悟していたが、近い距離では疲れないだろうという見通しを立てていたので、実際の身体の疲れ以上に心の疲れが左右してくる。
達成感がある時は身体の疲れを感じにくかったり、返って心地よかったりする。逆に拘束感がある中では心が疲労し身体まで重くなる。
世の中にはすぐに「疲れた」という言葉を頻発する人を多く見るが、きっと見通しの甘さがそうさせているのだろう。厳しく言えば『楽をしたい』という気持ちが強いのだろう。思っていたことよりしんどければその時点で心が萎えてしまう。更に酷い場合はやる前から心が重くなったりもする。
生命が生き続けるにはエネルギーを消費し続けなければいけない。言わば、毎秒毎秒を疲れさせないといけない。
『しんどい』と向き合うといろいろ教えられます。
その2日後、今度は光明池へ。岸和田に比べると距離は半分ほど。これくらいなら楽勝、と思っていくとこれが結構辛い。体調も毎日違うし、大きな上り坂があったなど条件は違うが、はるかに短い距離なのに。
そのことを自分なりにまとめてみた。そして出た答えが『見通しの甘さ』と言う事。遠い距離は疲れることを覚悟していたが、近い距離では疲れないだろうという見通しを立てていたので、実際の身体の疲れ以上に心の疲れが左右してくる。
達成感がある時は身体の疲れを感じにくかったり、返って心地よかったりする。逆に拘束感がある中では心が疲労し身体まで重くなる。
世の中にはすぐに「疲れた」という言葉を頻発する人を多く見るが、きっと見通しの甘さがそうさせているのだろう。厳しく言えば『楽をしたい』という気持ちが強いのだろう。思っていたことよりしんどければその時点で心が萎えてしまう。更に酷い場合はやる前から心が重くなったりもする。
生命が生き続けるにはエネルギーを消費し続けなければいけない。言わば、毎秒毎秒を疲れさせないといけない。
『しんどい』と向き合うといろいろ教えられます。