ある犬は一生懸命尻尾を振って少し離れたところの子供に遊んで欲しそうにしていました。でも首輪で繋がれていて思うように動けません。くしゃみをするのか吠えるのか解らないような声で少しアピールしてみましたが、気づいてもらえません。その内に段々大きな声で吠え出しました。ようやく気づいてもらえたのですが、あまりの吠え方に怒っているものと勘違いされたようです。犬の行動は更にエスカレートしひもにかみつき、周りの物に当たり散らし…。全く自分自身でコントロールできないようです。

少し前に見た光景ですが、とても興味深く感じました。人間でもよくあることのように思えたからです。周りの人に思うように構ってもらえず、その積み重ねが自身を制御不能にしている人たちをよく見ます。彼らはもはや人を怒らせても、迷惑をかけてでも、己に構って貰いたいのでしょう。前述のワンちゃんのように。

「構う」、辞書では「気にする、気にかける」という意味だそうです。「構って欲しい」とは「自分を気にして欲しい」ということ、しいては、「自己の存在を認めて欲しい」と言い換えられるのではないでしょうか?

臨床心理学者の加藤締三さんの著書では、子供の頃の甘えの欲求が満たされないままの大人たちが上記のように、自己の心を抑制できなくなるメカニズムについてふれられています。私自身も心当たりがあり、彼の著書から多くを学びました。なお、その本の中では、ほとんどの日本人が同様であると欧州の学者たちが指摘している点も書かれています。

先日も交通事故になりかけ、私が注意したその相手は逆上しあること無いことをわめき散らし、警察までご厄介になっていました。余程の愛情不足で育ったのでしょう。また、年末の深夜を大音量のエンジン音で走り回る人たちも何が何でも構って欲しいのでしょう。基は愛情不足でしょうがいい大人なんだから自分で何とかしようと考えられないのでしょうか?ワンちゃんや子供だったらだったら可愛いけど…

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