和歌浦をあとにした私は、和歌山市内へ向かいました。
機会があれば回ってみたいところがあったのです。
昨年、金環食の日、海南を訪れていた私は
その帰り道でFM和歌山の電波をキャッチしたのです。
和歌山県には県域のFM波はNHKしか存在せず、
コミュニティ局としてのFM和歌山が数年前に開設されたことは
噂には聞いていました。
その電波をキャッチしたのです。
それから、その放送局を一度訪れてみたかったのです。
旅に携帯したタブレットPCでHPを調べ所在地を確認し、
アポも取らずにアタックすることにしました。
次の目的地は海難であり、できれば南下したいところでしたが、
時間もあり、少し遠回りにはなるが、
そこはNow or Neverの精神、
市街地のアスファルトの照り返しの中、
のどをからっからにして歩きました。
何度か迷いながら、局に到着、
とりあえず呼び鈴を鳴らす。
対応に出た女性に何の用かと聞かれる。
大阪で番組を作っているディレクターで遊びに来たと伝える。
しかし、そこに立っているのは大きなリュックを背負った
真っ黒に日焼けした、まるで主礼賛のような男、
誰だって不審がるのは確か。
おまけに名刺も何も持っていない。
遊びに来たといわれても、
おそらく事務などをしている女性であろう、
何をどうしたらよいか解らないでいる。
時間があればプロデューサーさんに会いたい。
そういうと誰かに電話をし、少し待つように言われる。
少し立つと30歳過ぎの男が玄関から入ってくる、
どうやらこの男が代表者のようだ、
これまで、幾つかのコミュニティー局を訪れたが、
大抵が、元市役所や大学教員だったりのシルバー世代の代表だったので、
少し驚き、そしてよぎる不安。
コミュニティー局を訪問した際、
いつもギクシャクするのがこの世代の人たちとの会話である。
こんな言い方をすれば失礼かもしれないが、
コミュニティー局の人たちはどうも放送局の人間を敵視することが多い気がする。
今回も同様かもしれない。
遊びに来たといっても本当に遊びに来ただけで、
局内を見学させてもらい、少し話をしただけで帰った。
やはりあまり歓迎されていないようだった。
しかし、彼から面白い話を一つ二つ聞くことができた。
彼は情熱家のようで、そのあたりをくすぐると
いろいろ興味深い話が出てきた。
ただ、やはり放送局の人間を真っ向から敵視しているのは間違いなさそうだ。
しかしそれは彼に限ったことではない。
そういう思いこそが運営の原動力になっているに違いない。
そして彼のアイデアが、今のFM局設立に大きく役立っている。
そして、その後、彼は現在私が進める局設立に
支援してくれている人の親戚だと知った。
どこで誰と繋がるかわからないものだ。
次回はもう少し歓迎してくれるかもしれない。
そんなことを知る由もない私は、その日の宿泊場所を探して歩き出した。