タイ旅行始末記も最終話となりました。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
最終話 コークンカッ(プ) タイランド!
JIRAと楽しい観光が終わったのが、17時ごろであった。
フライトは23時55分なのだが、R氏からは、イミグレが込んでいるとの
事なので、21時ごろには空港についていた方が無難といわれた。
それにしては少し時間がある。そこで、JIRAと買い物に行こうと思って
いたのだが、彼女から、ある提案を受けて、そこに遊びに行く事に
なった。それはボーリングである。
明らかに日本のイメージと異なるボーリングである。これはJIRA
が投球したところ。レーンの向こうをみると、見事ストライクである
タイのボーリングは実に面白いのである。照明はこのように暗く、怪しい
ブルーで、後ろにはミラーボールが回って、音楽ガンガンでまるでディスコ
にきているような感覚である。
この後ろにはビリヤードがあり、ゲームセンターがあって、日本の
ボーリング場と同じようなものが置いてあるが、雰囲気はまるで別物
である。
そして食べ物と飲み物を注文し、テーブルに並べ、飲んで、ご飯を食べ
ながら、投げるのである。ちなみに我々の隣のレーンではタイ人の男女
が合コンをしているのである
他にもタイ人小姐がちょっと高級なデートとしてよく利用するそうだ。
日本人も多い。
JIRAが「これ、お得だよ」と3Lのビールパックを注文した。それに
ジャンクフードを中心とした食べ物が並ぶ。3Lもビールは飲めないと
思ったが、JIRAも結構飲んで、2人で空けてしまった。
その間、この暗い空間を利用し、いちゃいちゃしまくりである。
日本でもやれば良いのにと思ってしまった。
ただ、ちょっと調子に乗りすぎた。結局3ゲームもしてしまい、
このボーリングが終わったのが21時なのである。
さすがに時間が気になってきた
初めてなので、時間が読めないし、空港の雰囲気も分からない。
ちょっと急ごうと、JIRAを急かして、ホテルに戻り荷物をとって空港に
向かおうとするが、あいにくの渋滞であった
これには元来心配性の私はすっかり焦ってしまった
JIRAはそれを察したのか、「ごめんね」と謝っていた。タイ人も
中国人並みに謝らない習慣の国と聞いていたので、少し意外で
あった。
なんとか高速に乗って、飛ばしてもらう。この間、少し心配そうな顔を
してしまった私(情けない私である)に、JIRAもちょっと申し訳
なさそうだった。「別に貴女に責任があるわけじゃないよ」と日本語で
言ったが、理解したかどうかは分からなかった。
でも彼女のその気遣いに心が落ち着いてきて、
「まあ、乗れなかったら、今晩はJIRAの家にに泊めてもらえば
良いか」などとちょっと開き直ってきた。
車内では、急いで空港に行かなければならないという気持ちと、
でも着いてしまったら、お別れだなという寂寥感が混在して、とても
複雑な心境だった。JIRAはずっと横で私の肩に寄り添っていた。
結局、空港に着いたのは22時15分だった。イミグレの状況次第では
ちょっと急がなければならない時間である。
しかしチェックインはすんなりと行って、人もそれほどは多くなかった。
いよいよイミグレの入り口までやってきた。それほど混んでいる
雰囲気はなく、ほっと一安心である。
JIRAは結局最後の最後まで着いてきてくれた。
「日本に帰ったらきっとメールしてね」と言われた。言われるまでも無く
するつもりだった。
私は財布の中の1000バーツ未満の細かい紙幣を全部取り出して、
「帰りのタクシー代に使って」と言って渡した。チップ用にいっぱい
もっていたので、おそらく1000バーツ以上あったであろう。
「それじゃ、またね」と言って、彼女を抱きしめて、ちょっと顔をみて、
キスをした。顔をあまりに長く見ていると、どんどん別れが辛くなる
ような気持ちになって、すっと別れてイミグレに入っていった。
イミグレもあっけないぐらいすんなりと通って、23時には、搭乗口
までたどり着く事が出来た。
今回の旅は、本当に楽しかった。R氏のそつのないアテンドによる
所も大いにあるが、なによりJIRAと出会えた事で、タイとタイ人を
大好きになる事が出来た事が最大の収穫だったと思う。
日本行きの飛行機はわざと窓側の席を頼んだ。飛行機の中から
タイを少しでも長く見ておきたいと思った。
「コープンカッ(プ)」(ありがとう)とつぶやきながら、窓をぼぉっと
みていると、飛行機は颯爽とその機体をタイから離して飛んで
行った。
タイ旅行始末記 完