今はもう「学校群」と言われても、何のことかピンと来ない方の方が多いと思います。
これはもう、45年も前の都立高校受験の話です。
それよりもっと前、都立高校全盛の時代がありました。
都立の名門高校に入学するために生じた各種弊害解消のために設けられたのが「学校群制度」ですが、却って弊害を生んでしまい、結果廃止になった制度です。
簡単に言うと
①都内を地域により幾つかの「学区」に分け、都立高校(普通科)は自分の住んでいる学区内の学校しか受けられない。
②更にその学区内の学校を「学校群」という物に分け、受験は個別の学校に出願するのではなく「学校群」に出願する。
具体的には例えば
①杉並区に住んでいる人は、西高校はターゲットに出来るが、日比谷高校や戸山高校は受験出来ない。
②更に西高校を狙える人でも、単独で西高校に願書は出せず「第32群」という学校群に出願し、群に合格しても別の高校に振り分けられるかも知れない。(この例だと西高校か富士高校かの何れかに振り分けられ、自分の希望は通らない)
という制度です。
当時は名門都立に入りたい人が、住所をごまかしたり何か裏技を使って名門と言われる区立中学に潜り込んだりとか、かなり大変というか社会問題になっていたようです。
その過熱を冷却するために「学区」や「学校群」が出来、当時の都の担当者は本気で「これで受験競争が多少は鎮静化する」と思っていたようです。
しかし結果的に「希望の名門都立に入れないリスク」を回避すべく、成績の良い子は私立に進学。都立は人気がなくなり人気低下…
都立高校だけは受験と縁遠い環境(人気とレベルの低下)になりましたが、私立高校の入試は激化してしまい、結局全く問題は解決しませんでした。
優秀な子の親御さんが高い学費を払うことになる、という事態となりました。
まさに東京都教育界の「失われた何十年」です。
この(結果的に)ダメダメな制度は(確か)石原慎太郎さんが都知事の時に撤廃され、学校群も学区も廃止。
都内の中学生はどこでも好きな都立高校を受験出来るようになり、その後徐々に都立高校は復権し現在に至ります。
私も学校群内での振り分けが志望校でなかったこともあって、私立を選んだクチです。
振り返ってだけど…
この変な制度のお蔭?で、私立は人気が出ました。
一方、今のように都立高校が躍進しても私立高校のレベルは下がっていません。
都立私立関係なく、人気校は人気で、そうでもない所はそれなりに…
受験生に取って、選択の幅が広がったことだけは良かったのではないかと思います。(狙いとは違ったかもだけどね)
今思えば、自分が選択した私立高校に行ったことは良い選択だったなと思うのですが…
当時振り分けで当たらず、入れなかった都立高校、今でも近くを通ることがありますが、やっぱり憧れもあるし親近感もありますね☺️
(振り分けとなって行かなかった高校には、愛着はありません…😅)
ということで、今宵はこの辺りにさせて頂きとう存じます☺️ ではまた🌛💤