私ぼんじりが大好きだった作家・伊集院静さんの逝去に接し、

 

去年の11月10日に、このブログに掲載した内容を再掲載させていただきます

 

1978年冬、若者は東京駅構内にいた。

 

足元のトランクには数枚の衣類、胸のポケットにはわずかな金しかなかった。

 

入社した広告代理店も一年半足らずで馘首され、酒やギャンブルに身を置いた末に、

 

東京での暮らしをあきらめていた。

 

生家のある故郷に帰ることもできない。

 


 そんな若者が、あてもなく立ち寄った逗子の海岸に建つそのホテルで温かく迎え入れらえる。


「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば・・」


 見ず知らずの自分を、家族のように受け入れてくれる“逗子なぎさホテル”の支配人や

 

副支配人、従業員たち。若者はそれからホテルで暮らした七年余りの日々の中で、

 

小説を書きはじめ作家デビュー、大人の男への道を歩き出す――。

 


作家・伊集院静の誕生まで、若き日に向き合った彷徨と苦悩、

 

それを近くで見守ってくれた人々との出逢いと別れ。

 

 

名門ホテルは平成元年にその歴史に幕を閉じているが、目の前に海の広がるあの場所で過ごした時間は、

 

今でも作家の夢の中に生き続けている。

 

 

桑田佳祐、ベストアルバムに

新曲「なぎさホテル」書き下ろし 

伊集院静氏の同名エッセイと「不思議と符合」

 

ソロ活動35周年を迎えたサザンオールスターズの桑田佳祐(66)が、

2枚組みベストアルバム「いつも何処かで」(11月23日発売)のために

新曲「なぎさホテル」を書き下ろしたことが25日、分かった。

 

♪愛の言葉 熱い涙 心に染みて 君の微(ほほ)笑みで 気絶した 

思い出に変わるホリデイ ふたりの夏は今も続く

 

 

 

 同曲は海風香る情景、あふれる恋心をノスタルジックに描いたポップバラッド。

 

湘南唯一の洋式ホテルとして1926年に建てられた「なぎさホテル」

(神奈川・逗子市、88年閉館)の存在を知り、そこから着想を得て制作された。

 

 曲名は、作家・伊集院静氏(72)が原点をつづった

自伝的エッセー「なぎさホテル」(2011年出版)と同名にした。

 

桑田は同書の存在を認識していたが、制作後に熟読。思いがけず共通のフレーズが並ぶなど、

エッセーとのシンクロ度の高さに感嘆し、手紙をしたためたという。

 

伊集院氏も楽曲の誕生を喜び、お墨付きを与えた。

 

 

 2人は直接会ったことこそないが、不定期の手紙による交流があり、

宮城公演の際には伊集院氏から差し入れが届くなど親交が続く。

 

桑田は「拝読後、畏れ多くもその世界観に不思議と符合する部分があり、

知らず知らずのうちにインスピレーションを受けていたのかもしれません。

 

伊集院先生、ありがとうございました」と不思議な縁に感謝した。

 

 楽曲について「私の原風景でもある湘南の海の情景をモチーフに、

家族、友人、仲間、ファンの方々といった支えてくれている方々への感謝の気持ちを込めました」と説明。

 

「時代が変わろうとも、目の前にいるあなたのことを忘れず、未来を共に歩みたい」

という願いも込めた。

 

綾瀬はるか(37)と共演したユニクロの

CM「LifeとWear/ヒートテック 夜の遊園地篇」のCM曲としてオンエアされる。 

 

 

東京での暮らしは、大学生活をふくめて十年余りの時間だった。

疲れていた。

 

他人と折り合うことができなかった。家族とも離別した。


西にむかう切符を買おうとして、ダイヤ表を見あげた時、

 

関東の海を一度もゆっくり見ていないことに気付いた。
 

関東の海を少し見てから帰るか。
 

横須賀線に乗って降り立ったのは、逗子の駅だった。ちいさな駅だった。

 

缶ビールを手にして砂浜に座っていると、

「昼間のビールは格別でしょう」


言葉をかけてきた品のいい老人に安い宿を尋ねると、

「このうしろも古いですが、ホテルですよ」


ともかく金のない若者だったから、部屋代などまともに払えなかった。


「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば。

   出世払いで結構です。あなた一人くらい何とかなります」 

 

I支配人は笑って、私が少し旅に行くと言うと、旅の代金まで貸してくれた。


今、考えると見ず知らずの若者にどうしてそこまでしてくれたのか、わからない。

 

I支配人だけでなくY副支配人女史をはじめとする他の従業員の人たちも

青二才の若者を家族のように大切にしてくれた。
 

ホテルで過ごした七年余りの日々は、時折、思い起こしても、夢のような時間だった。


私はこのホテルで大人の男へのさまざまなことを学んだ。

 

人生は哀しみとともの歩むものだが、決して悲観するようなことばかりではないということである。


あのときのこと夢のような時間といい、それを懐かしむ。

そこにあった時間はつい昨日のことであるような気もする。

 

今、私は作家生業としているものの、あの頃の自分と何がどう変わったのかと考えると、

何ひとつ変わってはいないし、むしろあの時の方が、何をするにしても今より情熱があったように思える。

 

飢えてもいた・・・。

 

持って行き場のない怒りをかかえて、うろうろと街を徘徊し、

人を妬み、裏切り、失望し、大勢の人たちに迷惑を掛けて生きていた。
 

それでも、あのホテルの一室で見つめていた時間の中に、甘酸っぱい匂いがしてくるのは、

或る日、突然に迷い込んできた、一人の若者を、家族のような目に見守ってくれた人たちがいたからだろう。

 

その人たちの大半は、今はもうこの世にはいない。

わずかに一人の婦人から一年に一度、美しい文字の便りをいただくだけだ。

 

「私は船が好きでしてね。南太平洋は星が綺麗なんですよ。

その星を眺めながら一杯やってると、ずっとこうしていたいと思いました。

人は、それができる時にやっておいた方がいい。

その方が楽しいですよ・・・・・」


 「・・・・そうですね。航海へ出ていた頃が一番良かったですね。

      いったん海に出てしまえば女房も家族も関係ありませんしな。自由で気ままなもんでした。

      それに寄港すれば、港、港に美しい女性もいますし・・・・」

 「へぇ~・・・・・、そうだったんですか」

 「はい。これで結構、私、遊んでたんですよね。ハッハハハ」

 そう言ってI支配人は少し顔を赤らめた。
 若い時代に海に出た男が、老境に入って、

   海のそばで静かに暮らしている姿は何とも風情があるものだ、

 と思った。

 「ここのところどうですか?あなたも遊んでいますか」

 「えっ?」

 「男の人は若い時には少し羽目を外さなくてはいけません。

  だって若い時しか、そんなことできないんですから・・・・」

 「でもホテル代も満足に払ってませんし・・・・」

 「いいんですよ。そんなもの。お金がある人が払ってるから大丈夫です。

      こんな小さなホテルですが、 あなた一人のことで困ったりするものですか」

 「は、はい。ありがとうございます。

      いつかちゃんと仕事ができるようになったら必ずお支払いしますから」

 「お礼など言わないで下さい。それに、あせって仕事などしちゃいけません。

     正直おおわせて貰うと、仕事だって、そんなにする必要もないのかもしれませんよ。

     私、こうしてあなたとお酒が飲めて喜んでるんです」

 「私でよかったら、いつでも誘って下さい」

 「それはありがたい。あなた・・・・」

 「何ですか?」

 「あなた、大丈夫だから」


 この「大丈夫」という言葉、伊集院さんは、『いねむり先生』で

   色川武大さんからも似たような言葉で言われている。

 「大丈夫、・・・」か・・・。

 こんな言葉をこんな人から掛けられたら、心強い。うれしくなるだろう。


「自分で釣った魚は格別美味しいでしょう」

 

  そう言いながら笑っていた支配人の顔が浮かんで、

  私は何から何まで見守られていたので・・・

  と、ただ嬉しがっていただけの己の迂闊さを恥じた。


「歳を取ると、季節が変わるのが面倒臭く思えることがあります」

  私にはI支配人の言っている言葉の意味がよくわからなかった。

「目の前を過ぎて行くものが、いろいろやってくれないで、

 そのままでいてくれないものか、と思うんです。

   まあ、私、若い頃からなまけ者でしたからね。軽井沢はどうでしたか?」

「はい。涼しくて過ごし易かったです。気分が少し変わって、いろいろ考えさせられました」



「あんまり考えない方がいい。なるようにしかならないものです。

   無理にそうしなくても、何かがなる時は、むこうからやって来るもんです。

 あなたには、その方がいい」

   私はI支配人の顔を見た。支配人は目を細めて、秋にむかう海と空を見ていた・・・。


 

 

 

◆なぎさホテル 

 

1926年、逗子ホテルとして神奈川・湘南海岸を一望できる国道134号線沿いの別荘地に開業

創業者は、スイスでホテル経営を学んだ華族・岩下家一子爵。

 

湘南唯一の洋式ホテルとされた。のちに、なぎさホテルに改名。

 

50年代には石原慎太郎さんの短編小説「太陽の季節」の同名映画の舞台になり、

太陽族と呼ばれる若者が多数訪れた。

 

88年閉館。89年解体。

 

伊集院静氏は作家デビュー前の78年から7年あまりを、

同ホテルで暮らした・・・。