1967年・第15回阪神大賞典

キーストンは1番人気に支持されていた・・。

 

スタートが切られると常の通り逃げを打ち、周回2周目の最終コーナーを回った時点では、

スパートを掛けてきた後続に対して、山本騎手は手綱を抑えたままであった。

 

しかし直線を向いてスパートを掛けた際、ゴール手前約300mの地点で故障を発生。

 

キーストンは前のめりにバランスを崩し、落馬した山本は頭を強打して脳震盪を起こし、

一時的に意識を失った。

 

キーストンは惰性で数十メートルを進んだ後に転倒したが、

再び立ち上がって昏倒する山本を振り返り、故障した左前脚を浮かせた3本脚の状態で傍らへ歩いていった。

 

この時、山本騎手は一時的に意識を取り戻しており、以降の出来事について以下のように語っている。

「あー、えらいことになった、と思いましたが、気がつくとすぐそばに、キーストンがいたんです。

ということは、そこから離れていったのに、また僕のところに帰ってきたわけですよね。

そういうことは朧げに理解できました。


それからキーストンは膝をついて、僕の胸のところに顔を持ってきて、鼻面を押しつけてきました。

ぼくはもう、夢中でその顔を抱きましたよ。


そのあと誰かが来たので(中略)その人に手綱を渡して『頼むわ』と言ったまでは覚えてるんですが、

また意識がなくなりました」

 

キーストンは山本騎手の手を離れて馬運車に収容された後、

左第一指関節完全脱臼で予後不良と診断され、直後に安楽死の処置を施された・・・。

 

山本騎手が再び意識を回復したのはキーストンが薬殺された後であった・・・。