1978年冬、若者は東京駅構内にいた。
足元のトランクには数枚の衣類、胸のポケットにはわずかな金しかなかった。
入社した広告代理店も一年半足らずで馘首され、酒やギャンブルに身を置いた末に、東京での暮らしをあきらめていた。
生家のある故郷に帰ることもできない。
そんな若者が、あてもなく立ち寄った逗子の海岸に建つそのホテルで温かく迎え入れらえる。
「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば・・」
見ず知らずの自分を、家族のように受け入れてくれる“逗子なぎさホテル”の支配人や副支配人、従業員たち。若者はそれからホテルで暮らした七年余りの日々の中で、小説を書きはじめ作家デビュー、大人の男への道を歩き出す――。
作家・伊集院静の誕生まで、若き日に向き合った彷徨と苦悩、それを近くで見守ってくれた人々との出逢いと別れ。
名門ホテルは平成元年にその歴史に幕を閉じているが、目の前に海の広がるあの場所で過ごした時間は、今でも作家の夢の中に生き続けている。
桑田佳祐、ベストアルバムに新曲「なぎさホテル」書き下ろし 伊集院静氏の同名エッセイと「不思議と符合」
ソロ活動35周年を迎えたサザンオールスターズの桑田佳祐(66)が、2枚組みベストアルバム「いつも何処かで」(11月23日発売)のために新曲「なぎさホテル」を書き下ろしたことが25日、分かった。
愛の言葉 熱い涙 心に染みて 君の微(ほほ)笑みで 気絶した 思い出に変わるホリデイ ふたりの夏は今も続く
同曲は海風香る情景、あふれる恋心をノスタルジックに描いたポップバラッド。湘南唯一の洋式ホテルとして1926年に建てられた「なぎさホテル」(神奈川・逗子市、88年閉館)の存在を知り、そこから着想を得て制作された。
曲名は、作家・伊集院静氏(72)が原点をつづった自伝的エッセー「なぎさホテル」(2011年出版)と同名にした。桑田は同書の存在を認識していたが、制作後に熟読。思いがけず共通のフレーズが並ぶなど、エッセーとのシンクロ度の高さに感嘆し、手紙をしたためたという。伊集院氏も楽曲の誕生を喜び、お墨付きを与えた。
2人は直接会ったことこそないが、不定期の手紙による交流があり、宮城公演の際には伊集院氏から差し入れが届くなど親交が続く。桑田は「拝読後、畏れ多くもその世界観に不思議と符合する部分があり、知らず知らずのうちにインスピレーションを受けていたのかもしれません。伊集院先生、ありがとうございました」と不思議な縁に感謝した。
楽曲について「私の原風景でもある湘南の海の情景をモチーフに、家族、友人、仲間、ファンの方々といった支えてくれている方々への感謝の気持ちを込めました」と説明。「時代が変わろうとも、目の前にいるあなたのことを忘れず、未来を共に歩みたい」という願いも込めた。綾瀬はるか(37)と共演したユニクロの新CM「LifeとWear/ヒートテック 夜の遊園地篇」のCM曲としてオンエアされる。
◆なぎさホテル 1926年、逗子ホテルとして神奈川・湘南海岸を一望できる国道134号線沿いの別荘地に開業。創業者は、スイスでホテル経営を学んだ華族・岩下家一子爵。湘南唯一の洋式ホテルとされた。のちに、なぎさホテルに改名。50年代には石原慎太郎さんの短編小説「太陽の季節」の同名映画の舞台になり、太陽族と呼ばれる若者が多数訪れた。88年閉館。89年解体。伊集院静氏は作家デビュー前の78年から7年あまりを、同ホテルで暮らした。