『あっち側』とは、

どっち側なのでしょうか。😊

ニコニコ

昨今、よく言われる言葉で、

「あっち側」とは、グローバル企業や政府.またはその誘導に協力する文化人.マスメディア.一般人などを指すのかと思います。


「ロック」は「反体制」だと思っていたが、どうも違う、残念だが、「あっち側」が仕掛けた「洗脳工作」という説には、腑に落ちる所があります😅(もっとも、全部がそうではないと思っていますが。)


「あっち側」という言い方は、

コロナ禍に、主に権威のある人.有名人.大学教授などが、「感染症対策」のマスクやワクチン😷💉を国民に強要するかの如く推進した為、一部の反対派は、そのような人々を「あっち側」と言い出したのですが、、


私自身、コロナの時は不思議で仕方なかったです。有名人や、それまで政府批判をしていた政党や、ロックミュージシャンなども、皆マスクをつけてメディアに出て来る、おとなしく何の反対もしないのは何故か?と。

プンプン

かつて、全共闘などで権力と戦った人たちは、どこへ行ってしまったのか?


かつて、暴走族だった人たちも、マスクをつけて、ステイホームなのか?


パンクロックは、アナーキー(反政府主義)と叫んでいたのではなかったのか?スター


次々とイベントやコンサートが中止され、経済活動さえ封鎖されるなか、誰も反対しない日々が続きました。マスメディアが先導し、次々と「新生活様式」が為されるがままに、なされたのです。


学生運動のように、デモや反対運動をやれば良いというわけではないと思いますが、誰も声をあげないのは不気味でした。

歴史を見れば、国を変えようとした人達がいて、民衆のなかから運動が起きたのは1960年代。

69年の全国的な学生運動が最後となり、日本人は何も言わなくなったのではないか?1969年以降、日本は完全に舵を切った、民衆を上手くコントロールしながら、意のままに支配者層がコトを進め、その結果が、骨抜きにされたコロナ禍の日本人(今も続いている)の姿ではないでしょうか。


流れ星

そのような考えから、過去の歴史が気になり、

『全共闘』を話題にしましたが😅

追記すべきは、

「学生運動の主体は、元々は『全共闘』ではなかった」という事です物申す


60年安保と70年安保があり、全学連や何派やと複雑ですが、、学生運動と言えば「全共闘運動」というワードが必ず出てくるので、「全共闘」という組織が学生全員を指揮していた、ように思っていました。


マスコミが常に大々的に映し出す「東大安田講堂」の映像や、ヘルメットで機動隊に向かう人々、投石したり、学校に立てこもる人々、、というのは主に「全共闘」の過激な方法だったようです。しかし、

そのやり方に反対する学生も多々存在していて、彼らは非武装抗議を続けたり、大学運営側と民主的に交渉していたそうです。


いまだにマスメディアは、「学生運動=全共闘=東大安田講堂→あさま山荘事件」

と繋げて、必ず最後に「連合赤軍あさま山荘事件」を写し、怖い😨イメージを私たちに植え付けて来ました。


⬇️参考



運動する人の内部に、それを混乱させる人達が現れ、内部分裂をさせる、分裂した者を吸収して大きくなって、ひとつにまとめる、そこで権力を持ったリーダー格が、過激な行動を起こして、一斉に逮捕される、そして運動は縮小し、人は離れていく…、

『全共闘』という組織(というか仕組み)が、内部分裂を仕組んだのかどうかは分かりませんが。。


今も、社会活動やいろいろなグループで、同じような事(内部事情)かあるのではないでしょうか。

おねがい


星村上春樹さんの小説の時代背景は、そのころのお話キョロキョロ小説の内容から考える、その後の日本の行方。 (ここから⬇️)



スター

1979年に、デビュー作が群像新人賞を受賞。

作家:村上春樹氏が登場します。


79年、政治の季節は遠ざかり、学生運動は収まり、今度は大学進学率が増えて「受験戦争」などと言われだした時期ですキョロキョロ


デビュー作「風の歌を聴け」は、1969年の動乱を経た大学生が、1970年の退屈な夏を過ごすという話です。喪失感を醸し出しながら、「クール」な『僕』が語る、ぶつぶつと理屈や理論を交えながら、ストーリーが、あるような無いような小説という感じでした。

星

気になる事が、2点ほどあります。

1人称の『僕』が語り手の主人公ですが、『僕』に名前がないことです。

2作目、3作目も同じシリーズですが、主人公の名前が出ることは無かったと思います。

他の人物も、ただ「女の子」だったり「2番目に寝た女の子」だったり、「鼠」だったり、、名前で呼び合う事がありません。


「名前」が無いと人物像が浮かびにくいのですが、、この小説は、あえて「個性」を薄くして、登場人物のキャラを立てずに「僕」「女の子」という誰にでも当てはまる言葉で登場人物を出す、という実験だったのかとも思えます。


名前によって、その人固有のイメージやエネルギーが出るのを、あえて排除したのか、また、『僕』が語り続けることで、いつしか読者自身を代弁する「僕」となり得るという、共感性を狙ったのか、、意図的に、色々な試みのある小説ですので、読者の謎解きで盛り上がるのも分かりますね爆笑


もうひとつは、『僕』と恋人のようになっていく「女の子」が「誰かの声が聞こえる」と訴える場面です。

この女性は、普段はレコードショップで働く社会人ですが、何か訳ありで、家族と離れて1人暮らしをしている孤独な感じの人です。


精神的に時々つらいと、『僕』に会った時に彼女は話しはじめ、そこで、誰かの声が聞こえる(幻聴なのか?)という秘密を、告白します。


今まで誰にも言えなかったけど、私には誰かの声が聞こえる、(もちろんそこに居ない人の声)どうすれば良いのかわからない、と。

このシーンは、重要だと思うのですが、僅か2.3ページで、次のシーンに移ってしまいます。


この告白か相談に対して、『僕』は

「病院には行ったの?」

とさらっと聞くだけで、その後もこの件に触れる事はありませんでした。。

音符

『ノルウェイの森』は、1987年に出版され、大ヒット作品となりますが、この物語の時代背景も、1969年〜70年の大学生が主人公です。

「僕」という語り手.一応名は「ワタナベ」という大学生、直子と緑という女子大生、レイコさんという年上女性などが織りなす恋愛小説です。


ここでは、『僕』と恋人になったはずの彼女(直子)が突然、何の連絡もなくアパートを引き払い、居なくなってしまいます。

後日の手紙で、彼女が「精神科の施設」に入ったと、『僕』は知ります。


小説(フィクション)は、何でもありですが。。

どうも精神を病む人が多い、、特長なのか作者の実体験か、テーマとしているのか?テーマにしているとすれば、この小説には問題意識がないという気がしてしまいます。


「ノルウェイの森」では、彼女が入った精神科の施設でのシーンも多く、意外にも、解放的で自由な空間なのが驚きです。

実際に、そういう施設もあるのかもしれませんが、現実には「精神科」に入院することは「閉鎖病棟」に入ることになる筈です。外界とは遮断され、各窓に鉄格子をはめている所もあります。

今は、多少変わったかもしれませんが、この小説が出た当時(1987年)に見た精神病院は、そんな感じでした。

ですから、これを読んだ時は、現実ばなれしていると思いました。


あくまで、私が思うにはですが、、

こんな時こそ、仲間や家族が力になって支えるべきではないかと。「施設」という空間に、仲間や家族から引き離されて「療養」するというのは、一時的なら良いのかもしれませんが、長くなればなるほど、社会生活から遠のいてしまいます。社会生活が全然出来ない状態ではなかった筈の彼女に、本当にそこに入る必要があったのか?と思うのです。

施設に入ってしまったことが、結局は、悲劇的結末の元になってしまいます。


物語は進みますが、彼女は闇を抱えているとか、長くかかるとか、出られるかどうかもわからないとか、病の原因もはっきり書かれていないのですが、情緒的不安だけで、登場人物全員が「出られるかどうかわからない」とか「何年も彼女を待てるの?」とか、、まるで不治の病と考えているように見えるのです。


あえて言えば、実際には「精神病院」から出て、薬も断薬し、普通に生活している人は、間違いなく存在します。そういう良い話が、あまり広まらないのかもしれませんが、少なくないと思います。私も、実際にそういう方を知っています。


小説のなかの話なんですが…、それでも「精神病」という材料を出してきた作者に、何か意図があったのかどうか、分かりませんキョロキョロ


あしあと

この小説は1987年でしたが、

その後の現実の日本では「うつ病患者」の爆発的増加が起こります。


⬆️

動画で解説されるのは、「うつ病」の定義が変わったこと。DSM-Ⅲというアメリカ精神医学界が、1980年に出したものが基準となって以来、80年代に日本の「うつ病患者」は増え、90年代「うつ病は心の風邪」という大々的キャンペーンで、さらに一挙に増えていきます。



精神科の敷居は低くなり、イメージアップも手伝って、受診者は増えます。言い方は悪いですが、大した症状でなくても「私ウツなんです」という人も増え、精神薬が広範囲の日本人に大量に処方される時代になってしまったのです。


今は、更に解釈が変わってきて、うつ病は脳の病気とか、ウイルスとか遺伝とか、先天的な病気を思わせる方向へ向かい、一生治らないと決めつけてるかのように思えます。 

これでは、絶望感で自殺する人が居ても不思議ではありません。


やはり、「精神科」と「製薬会社」のウソと、病気だと思わせる誘導、マスメディアの洗脳、

これが本当に今の日本を腐らせている、

元気で明瞭な若者を、薬で廃人にするかのような政策を国がしてしまっているのです。



もしも、村上春樹氏が、

こういった未来を予知した上で、精神病のことを小説に取り上げたのだとしたら、すごいと言うか、少し恐いですね、。


「ノルウェイの森」での、精神科施設のフリーダムで美しいイメージや、そこに入る女性が美しく純粋な人であること、など、結果的に精神科のイメージアップになってしまったかもしれない、という気がするからです。。

(陰謀論か、妄想のようですが😅)


私は決して、ビートルズや村上春樹さんをディスりたいわけではありません。

ただ、メディアがあまりにも持ち上げて評価するものって何なのか?

何故、自分が好きならそれで良いはずなのに、他人にまで、その良さを知れと必須科目のように言うのか?と、反抗する気持ちもあり、、


本人よりも、その周囲で持ち上げている人たちに、どんな意味.メリットがあるのか?

そして、メディアとその奥にある利権のカラクリ、洗脳のカラクリは何で、誰なのか?と。

そこに対して「陰謀」を感じています。


「一強」ばかりの分野が多いと思いませんか?


作家は「村上春樹一強」 

野球は「大谷翔平一強」

ニュースは「池上彰一強」

ネットは、Google、Amazon、動画はYouTube、音楽はビートルズ、、以前の政治は「安倍一強」もありました。


分かりますが、、、

他にも素晴らしい人、頑張っている人はいませんか?


本当に好きでファンの方は、もちろん、

沢山おられることと思います🙇🏻‍♂️


しかし何故か、、。

そうでもないのに持ち上げている人

必ずいるはずです{emoji:621_char4.png.物申す}