前回は、

『演歌』の陰謀について考えました😊


はっきりしている事は、

演歌の歴史は新しく、歌謡曲のジャンルとして、1969年頃から確立されたということ。


そういった事や、その時代背景を調べるうちに又、気になる歌が♪出てきましたおねがい



フォークグループ「赤い鳥」伝説の名曲

「竹田の子守唄」キラキラ


「赤い鳥」は「翼をください」

で有名だと思うのですが、シングルレコードではB面に入っています照れ当時は、

「竹田の子守唄」の方が、メインで発売されていたという事になります。


この歌は、被差別部落で歌いつがれてきた民謡だそうです。原曲は部落差別のことや、地域が特定できる部分もあり、(レコードは原曲どおりではないそうですが)テレビ.ラジオなどでは、放送自粛したと🆖いうことです。。



物申す

歌謡界で「新宿の女」がヒットして『演歌』が完成形となり、フォーク界では「竹田の子守唄」が歌われる、安保闘争.ベトナム反戦運動..全共闘.東大安田講堂事件.バリケード封鎖、世界ではウッドストックでロックフェス、ジョンレノン.オノヨーコ『ベッドイン』、アポロ月面着陸、、ちょっと調べただけでも、1969年は混沌とした出来事が相次いでいます。


日本で社会運動が活発化したのは、1960年。

第一次安保闘争の頃と、その後、

65年ベトナム戦争への反対で、再び活発になります。60年代後半には、既に世界的に拡がっていた学生運動が「スチューデントパワー」と呼ばれたそうです。


日本では、そういった国民のエネルギーを「内側」に向かわせるという画策が政府や企業、マスメディアによって、行われたのではないか?

それが、「演歌」や「竹田の子守唄」が表に出て来た意味ではないかと、、いうのが当記事の推察です。昇天


同時期に記録されていることがあります。。

同和問題、同和教育について、組織間での反目、分裂などから幾多の事件が起きたそうです。




花火

60年安保闘争では、

市民団体.教師.学生.主婦.労働者、いろんな階層の国民がデモに参加したようです。


70年安保への反対運動は、

ベトナム反戦運動や羽田事件と同時期、60年代後半から始まったとされます。この時代の運動は「新左翼」と呼ばれる人達が中心で、いくつかの会派.グループに分かれていて、後々、他会への攻撃や抗争.事件にまで発展したと言われます😅


「新左翼」の影響化で、「全共闘」が学生運動の中心になり、大学の枠を超えた協力体制ができたのが68年。


反戦や平等を訴える活動家や各グループは、「部落差別」や「在日問題」も社会問題と捉え、フォークソングが運動の一つとなり、反戦歌や、差別を歌うフォークソングも作られています。



日本人にとって、反戦の声をあげること。

これは「ベトナム戦争反対」であっても、同時に過去の日本アジア占領への「反省」に繋がる、、

「戦争反対」と言ってるけど、戦争を仕掛けて来たのは、お前ら日本人じゃないのか?と


当時、中国や朝鮮半島へ帰らずに残った「在日」の存在、また、昔から「えた.ひにん」と呼ばれ未だに差別を受ける「同和地区」の存在、、

こうした国内の「差別」に目を向ける事は、運動する側、また、政治運動に参加しない国民にも、日本人としての「罪悪感」を芽生えさせたのではないかと思われます。





キョロキョロ

「自己否定」という言葉が使われたのも印象的です。全共闘の議長が大学教授等に対して「自己否定」を求めたという事など。。


他にも「自己批判」などの言葉が出てきますが、この時代の学生活動家の使う言葉は、難しい言葉や専門用語的なのが多く、調べてみても、よ〜わからん、、というのが正直な感想です。。


これは屁理屈のようですが、、、

言葉はエネルギーなので、「自己」という言葉が出てくるのは、「自己」つまり「自分」のことを考えている、という事になります。


「自己否定」という言葉は、感覚的には

自分に向けての言葉であって、他人に向けて

「自己否定せよ」という使い方をするのには、何か違和感を感じます。

(これはあくまで私の感覚ですが😅)


難しい言葉を使い、権力に向かって行っても、結局は自分に返ってくる、、じゃ自分はどうなのか、自分もこの資本主義構造の枠で生かされてるんじゃないか?企業の物を消費し、そのなかで権力者に声をあげる意味、根本的な矛盾はそれで解決するのか?とか、差別される者に対しては傍観するだけなのか?とか、

「自己否定」「自己批判」を自分に向けてみると、疑問や矛盾が湧いてくるのではないか、と思うのです。


「自己否定」を自分に向けた人は、自分自身に矛盾を感じるし、他人に向けた人は対立を作り、内部抗争を繰り返す、、と想像できます。


「自己否定」という言葉そのものが「内省」に向かう言葉であり、パワーを内側に向かわせるものではないか?「内部」で対立し合い、運動そのものが上手くいかなくなって行くのも、分かるような気がするのです。


あしあと

1969年は、大学だけでなく、全国の高校でも「バリケード封鎖」が行われ、学生が自治を要求し、学校に立てこもる事件が続出しています。


「全共闘」とは、元々授業料値上げ反対など、大学生が大学運営側に交渉する運動だったそうで、交渉の方法として「バリケード封鎖」や「ストライキ」を使う等、暴力革命を肯定する思想から、過激な行動が多く、この事が結局、社会全体から学生運動への賛同を失くしてしまい、衰退していったとされています。


ちなみに、学生が学校の自治を行う為の運動が「全共闘」の中心で、街頭での運動(安保や反戦の訴え)とは一線を引くものだったという事らしいのです。

団体や運動方針、影響を受けた革命家によってグループが分かれていたり、この時期の政治運動の事は、複雑なようです。。

もやもや

不思議なことは、逮捕者まで多く出した70年前後の学生運動ですが、学校卒業後も社会活動をしている人は、いないのではないかと言われている点です。

「全共闘」の議長だった方が、予備校講師になっていたり、また、「全共闘」に参加していたと言う文化人.音楽家.政治家などもおられるようですが、市民活動や社会活動をされてるわけではないようです。有名人として成功してから、実は学生時代は全共闘でしたと語っているという事です。


同じ時代、世界的に学生が社会運動を繰り広げ、海外では、その卒業生たちが社会活動を続けている例があるのに、日本ではさっさと終わっている、不思議な国だと思います。

スター


一方、

同和問題は学校へ圧力をかけて「同和教育」を押し込んだり、団体は権力を持ちます。


また、当時第3党の「公明党」は、まだ結党間もない頃でした。元々宗教団体「創価学会」の文化部というものが、地方選挙に出馬し、国政選挙でも議員を出し、わずか数年で第3党まで議席を増やした、という事です。

政教分離という憲法の条文があるにも関わらず、一宗教団体が国会や地方議会に多数の議員を送り込むという事、それが堂々とできる、これも不思議な事です。


1969年は、創価学会の代表.池田大作が、創価学会を批判する出版物を発禁にするようにと、田中角栄に打診した事が暴露され、翌70年には、国会で問題になります。


ニコニコ

公明党の結党は、1964年。

まだ駆け出しの時から既に、池田大作氏は自民党の大物にわがままとも言えるお願いができる人だったという事です。一宗教団体の代表と言うより、はじめから特別な存在?だったのかと思えます。


翌1965年は、「在日韓国人」として日本に残った人々が永住権を得ます。





あしあと

日本を「内側に向かわせるモノ」

戦争の爪痕のような問題「在日」

昔からの差別問題「同和」

新しい「宗教」


GHQは、「逆コース」と呼ばれる元A級戦犯の人たちに権力を与え、日本独立後も、それらをコントロールします。

「旧統一教会」と「創価学会」は、戦後日本をコントロールする上で重要な「内側のエネルギー」「庶民の複雑な人間関係」を作らせていった存在。それが、はじめから政治的だった事が、歴史の流れで分かってきます。


見えにくいところで、権力を持っている

それが今に至っている、という事かと思います。



流れ星

そんななか、政府やマスメディア、企業は、

「学校教育」や「子供」へと、フォーカスを移していったように思えます。


企業は、子供に売れる商品を

娯楽性があり、子供を教育.洗脳できるモノをと、

ターゲットは、子供になります。

子供が欲しがるモノ、親は子供に与えたいと思うモノには、お金を出します。


高校でも「バリケード封鎖」事件があるなんて、学校は大丈夫なのか?という

世間の心配もあったかもしれません。

実際には、活動家は一部の生徒だっただろうし、事件になったのも一部の学校だったのでしょうが😅その後も、テレビ.マスメディアはこの時代の過激な部分を伝え続けます。


「政治活動などに参加させずに、ウチの子をちゃんと教育し、荒れていない学校、レベルの高い学校に入れたい、その為には受験勉強をさせないといけない、、」

ひょっとすると、全共闘運動などの報道は、その後の受験戦争を、激化させるキッカケになったのかもしれません。。

キラキラ

ちょうど、

テレビは「カラーテレビ」が1970年前後に各家庭に普及していきます。70年代は、家庭でカラーテレビを見るのが普通という時代へ。


ここから一気に、

テレビがメディアの中心という時代になります。


1969年は、「8時だよ!全員集合!」

が始まった年でもあります。

番組が子供に大人気となったのは、今も語られる事実でしょう。わかりやすい「ギャグ」や「コント」、動きの大きさやセットの面白さ、子供にとっても楽しいテレビ番組となりました。

ルンルン

歌の世界には、「アイドル歌手」が誕生し、テレビに毎日のように現れたりラブラブ「演歌」中心の歌番組ができたり🎤「歌番組」は大人や子供も惹きつけていく、、仮面ライダーが放送開始、ウルトラマンシリーズ継続、アニメも数々の作品を世に出します。CMでは、お菓子のコマーシャル.おもちゃのコマーシャル、民放各社が、朝のこども番組を毎日流している、、そんなテレビの時代に入るのであります。流れ星

足