何か新しいものを作る。


誰もやった事のないような、誰かの真似事でないような…、創作、作品を残す。


そうすると、

「オリジナル」というものが何処にあるのか、という問題に突き当たる。


自分を「表現する」という課題にも突き当たる。



青空に嫉妬するように、

夕陽に後悔を感じるように、

私の人生は燃焼を途中で止めた、

糞づまりのようだ。。


せめて、自分を表現したい


一つのエピソードを、ブログに

何らかの表現として書いていく。

過去の事柄か、フィクションか、

何でも良いので、忘れる前に書き残す

というこのコーナー。


『青空の哀しみ』



忘れたくない。

何か大切な事だったはずなのに、

何となく忘れてしまったこと


それを言葉で表現したい



今にして、ようやく

私が表現できる心の在り方、本当に表現したいもの、表現できるものは、『悲しい』という事に由来すると考えることができる。

しかし、その『哀しみ』の底には、もっと熱い血が流れ、その熱い血はいつも激しく叫んでいる。

もっと前に、もっと先へ、もっと激しく生を燃やし尽くしたいと叫んでいる。

哀しみの底に流れる河は、私を否応なく突き動かし、それでも思うように動けない意気地なさや苛立ちとともに、いつも私の心に葛藤をもたらした。

いつか、その熱い河の流れに触れ、素直に流れを信じきれたなら、

私は本当の笑顔に出会い、歌いながら、歓喜に溢れる人達と共に、この哀しみの事を笑って話し出すだろう。

そこにいるのは、本当の友達だからだ。

…………



①『昭和の朝焼け』


今思えば、あれは昭和最後の年だった。

僕たちは駅前のラーメン屋で話していた。

他愛もない話かもしれない、今聞いている音楽の話や、何が好きで何が嫌いか、女性と付き合う為にはどうすれば良いのかと、。それは高校生らしい真面目で楽しい話であった。


そのラーメン屋は、ハチマキをしたおじさんが1人で調理し、アルバイトの女性が1人いるだけだった。特に美味しいわけでもないが、場所と値段が手頃なので、時々行って、喋っていた。


冬になり、近くの友人宅へ泊めて貰った帰りには、朝焼けに空が赤く色づき、何か全てが美しいものに見えた。心の中が澄んでいるのだと気づいた。それまで嫌いだった人も微笑みかけ、なんだか全てが愛おしく、過去を許し合い、もう憎しみなど無くなったのだと感じた。


12月、年号が変わる直前の暮れ。「自粛」という事が言われていた。

それでも、クリスマスパーティーは周囲であったし、みんな「自粛.自粛」と冗談のように言ってるだけで、気にしていないようだった。

バンド演奏して盛り上がる者や、いつもよりオシャレな服でお出かけする女性や、楽しげな雰囲気は流れていた。高校2年だったので受験を考える事もなく、まだ級友達も遊び盛りという頃。



ある日、ラーメン屋に1人で入ると、

何やら、おじさんとバイトの女の子が話し混んでいた。いつになく神妙で話は長く、注文の時も彼女は上の空という感じだった。注文を聞いて調理するより、おじさんはまだ怒ったように彼女に話を続けていた。


どうやら、彼女はバイトを辞めるようだった。

「今年いっぱいで!」という彼女の声。

「いや、それは困る!」というおじさん。


バイトの女性は、僕のような高校生にも礼儀正しく、好感の持てる人だった。店によっては、学生にはいい加減な言い方をする飲食店もあった。


「辞めてしまうのか…」

あちらは僕の事など一々覚えていないだろうが、とても寂しく思った。

たぶん、僕より少し上で、大学生くらいの雰囲気の人だった。小さなラーメン屋で1人注文をとる彼女は、唯一花であったのに。。


どうやら、彼女がバイトを辞める決意は固いようだった。食べ終えて、まだ気まずい雰囲気のなか、店を出た。


昭和終焉の年に、今年いっぱいで!

というバイトの女性と、引き留めるおじさん。

何故か、その光景をよく覚えている。



その後、僕は、

小さな事で親と口喧嘩になり「家を出て行く」と言って、裸足で飛び出した。

冬の夜遅く、裸足で、電車に乗る金も持たずに出てしまった。しかし、「出て行く」と言った以上、帰るわけにもいかない。


公園でじっとしてるうちに、寒さで熱が出ているのが自覚できた。死ぬんではないか?簡単に死ぬわけはないが、何故かその時、死んでも良いと思った。このまま死んでいこうと思った。

しかし、そんな事で簡単に死ねるわけがない。

数時間して、

バカらしくなり家へ帰った。


結局、40度ほどの熱で、冬休みから決まっていたバイトに行けなくなってしまった。

死ぬも生きるもなく、バイト先の店長から電話で「こっちから言うの申し訳ないけど、バイトの話はなかったという事で。大事にしてね。」

と社会的に迷惑をおかけしただけだった。


しかし、ほんの数時間でも

その時死んでしまおうと思ってしまったのは確か。何故そう思ってしまったのか分からないが、そういう事はあるのだろうと実感している。


熱が下がってから、また元気を取り戻した。

その頃は、基本的に健康で、周囲の仲間ともよく話す明るい人間だったのだ、僕は。

電話してよく笑った。また正月に何かしようと友達と話していた。



確か、年が明けて……、、

1月7日までが昭和だった筈だが、その前日に今度は眠れなくなってしまった。何かおかしな事、大変な事が起きるような気がした。このまま昭和が終わると何か全てが終わってしまう、人類が終わってしまうという訳のわからぬ妄想に取り憑かれた。うなされたり、自分が自分でないような感覚だった。朦朧とした夜は朝まで続いた。


そして、一夜明けて昭和が終わった。

昭和終焉の数時間後、今度は、他の級友とトラブルになった。

年末には平穏だった気持ちが、ドンドン崩れていった。それでも、冬休みの間にトラブルは解決した。


自転車で学校へ向かう時、何か全ての答えが出てるような気がした。それはこの世界の全てが、今まで何も分からなかった事が、ジャストタイミングで動き、自分の周りに引き寄せられる、急にそんな感覚に襲われた。

タイミングが全て意図的で、全てがジャストなタイミングで動いている、僕の周りを動く人に意志が読まれて、見知らぬ誰かもそのタイミングで動いている、という光景だった。そう見えているのを抑えられない、否定できない、間違いなく何かが動いている…、何とも人に伝えにくい、ただ全てがジャストのタイミングで動いている、とでも言うような、、。

恐いと思った。


今では、それがどんな感覚だったのかハッキリと伝えにくいが、同じような感じを

意図的に作ることもできると聞いている。



昭和の終わりの12月に見た朝焼け。

友達の家に泊まった帰りの爽やかな朝。

あの美しい感情、まるで目に映る全てが美しいと感じる、全てのものが生きていて、ちゃんと交錯しあって互いに認め合っている、存在が全て意志を持っているのだ。そんな感覚が何度かあった。それはとても心地良かった。

全てが繋がっていて、僕は安心してそこに存在している、心が澄んでいて、憎しみのような感情から抜け出して一つの境地に達した、とでも言うのだろうか。


その後に取り憑かれた死に向かうような感情や、胸騒ぎのような恐怖は何だったのか分からないが、僕は今も、心地良い方の感情を知っているし、「ワンネス」という愛に溢れたものが本当なのだと今なら分かる。



何故か、昭和の終わりの頃に

何かが動いていると思わされた、

恐い感覚と、心地良い感覚と。


それは、本当に不思議な体験だった。