春、うららかな日々
思えば、
このブログを書き始めたのも4月であった。
2017年4月から何となく書き始めてみたものが、丸5年になった。
お読み頂いている皆さまへの感謝と、たくさんの出会いや気づき、今なおそれが続いていること、私と皆さまが幸運を引き寄せていることを感じ、強くそれを信じている。
初めの頃や、フォロワーさんが増えて調子づいた頃に比べると、更新頻度は落ちたものの、私がこうして書き続けているという原動力には、ひとえに私自身のエネルギー、皆様のあたたかいお心遣い、又、私の文学的なものへの憧れがあるのだろうと思う。
このような、かしこまった言い回しが、私には心地良く感じられ、自己満足の世界へと導かれていくのかもしれない。。
さて、
桜の花びらが頬をつたう頃、私は街を歩いた。
そこは、春の明るいファッションで溢れかえっていた。冬の重いコートを脱ぎ、陽気に汗ばみながら人々は軽い色とりどりな服を着て、楽しそうに街を歩いている。
TVで流れる悲惨に満ちた話など、誰も信じていないように見えるし、もう誰も何も怖がっていないように見える。マスクをしている事は別だが、それさえファッションにしてしまう。ある意味すごいと思う。
みんな、もうわかってんじゃないか。明るいオーラを出してる、何も昔と変わっていない、若者が通りの中心を堂々と歩く、街の姿がある。
そこは昔からあった場所で、
ここも昔からあった場所で、
そこにもここにも、変わらない場所がある。行き来する人だけが、今日も入れ替わり、新しい人と古い人とを交差させる。
昔住んでいた人はいなくなり、新しくこの世に生まれた命が育ち、そこに住む人となる。
この場所は、変わっていない。
そこでまた人と出会い、恋が芽生え、怒りや苦しみをぶちまける人、歌ったり踊ったりする人…また人はいなくなり、また人がやって来て流れを作る…
それは、ずっと続いていく。
私は信じている。
それは誰かの事ではない、私自身の事でもない。
ただ、信じている。
ただただ、この毎日が、
その一瞬一瞬が、そこにあるということ。
それを信じている。
春が降りそそぐ
この瞬間が
私にとっては、全ての答えとなる
そこには、問う価値のある疑問もないし
私がそこにいるという
事実しかない
私にとっては、それが全てであり
そこにいる私が、
全てにおいての答えである
ただ、信じている
私は信じている
私は信じ続ける
ありがとう
私は、私自身に言いたい
もちろん、皆さまに。
見えないかもしれないし、
わからないかもしれない
けれど、
どこかで誰かが
私を支えてくれている
必ず、
どこかで誰かが
あなたを支えてくれている
信じている
ただ、ずっと
信じてる
私はずっと、信じてる