私の死後は、駅前に
私の銅像を建てて欲しい。

駅を行き交う人々が、
必ず通る場所に。

待ち合わせは、
私の銅像の前でして欲しい。

「今夜7時、じょーたろうの銅像前で。」
「了解!じょーたろう前に集合!」

そんな風に、私の銅像は使われる。


私は、伝説。

しかし、私が生前何をした人物なのか?
どんな功績を残した人物なのか?
それは聞かないで欲しい。

私は、伝説。
ただただ、私は伝説になるのだ。
誰もが、私を知っている。
何処でも、誰かが私を見て近づいて、
なぜだか、私を知っている。

私の知らない人が、
私の事を知っている。
あるいは、まるで知っているかのような事を言う。

私は、そんな風に作りあげられた。
誰も本当の私には興味がない。
まるで別人の私の事を、知っている。
別人の私の情報が全国に出回ったのだ。

あなた方は自らの手で
自らの口で、確かな意思を持って
「監視すべき偶像」
を作りあげたのだ。

その偶像は、祭り上げられる。

しかし、
其処に建てられた私の銅像は、
私の意思を持つのである。
そんな私の銅像が、建てられるのだ。


私の受けた仕打ちを、
私は忘れてはいない。
哀しいことだが、
忘れさせるわけにはいかない。

それは明らかにされる。
全ては明らかにされる。


私は伝説、


語り継ぐことで、
この世界が変わる。

古くから語り継がれた伝説は、
確かな意思を持って、私たちの心を揺さぶり、何かを教えてくれる。
歴史書に書かれる事のない、揉み消された過去の事実を、人々はひたすら語り継ぐことで伝えて来たのだ。

私たちが生きて証人となる。
さもなくば、私たちの死後、
必ずや誰かが語り継ぐのである。
だから、
私は伝説になるのだ。


今、全国の被害者が声をあげ、
世界中の被害者Targeted Individualが立ち上がった。

私を語り継げ
私の伝説を語り継げ

I am Legend.
I am Legend.


私には、
そう叫んでいるように聞こえる。

忘れさせるわけにはいかない。
青空に哀しみを感じるが如く、
真実をすり替えたままで、
笑って暮らしているのは、ウソだ。


私は伝説、


だから、
私の死後は、駅前に
私の銅像を建てて欲しい。

地震の時でも倒れぬように、
耐震装備もして欲しい。


その日、
銅像の私は
行き交う人々を見つめている。

真に平和な、思いやりに溢れた世界。
優劣ではなく、誰かは誰かに勇気を与える事を目指して生きている。
子供たちは、本当の友情を取り戻す。

世界中の被害者の伝説は語り継がれ、
ある者は銅像になり、又ある者は一万円札の肖像画になり、又はコインの裏側の肖像画になったりして、、あらゆる場所で、
形を変えた被害者達が、新しい本当の世界を見つめている…。

そんな日が来る。


妄想だと笑うがいい。
だがその伝説は、既に始まっているのだから…。

私は伝説、私は伝説、、
私は伝説、、、

私は伝説。
誰もが、生まれたままの素直な心に戻ればいいだけだ。


では失礼する。

あなた方が、
自由な心を取り戻すためにも、
私の銅像を建てて欲しい。