こんにちは(^^)

前々前回記事「永遠の壁。」では、
我々が『加害者.被害者.一般人.』の三種類の人種に別れた世界を作ってしまっているように思えたので、その事を考えたいと思っていました。

また、自分が「加害者.加担者」だと思う人間が、意外にも「人間らしい」一面を見せるとも書きました。

加担する人達が垣間見せる「人間らしさ」とはどういうものか??


今回、自分の経験を振り返りながら、
思い出してみたいと思います。
⬇️


⬆️
上記は3月の自分の記事です。
個人的な記録になりますが、ここではコリジョンキャンペーンに起因する交通事故の場所だけを挙げています。(①②③は警察対応済み)


④大阪府寝屋川市香里南ノ町…
(2018年2月)
朝の出勤時でしたが、バイクで京阪香里園駅前を走行中、左角から進入してきた自転車をよけたところ、前方からも自転車が進入。前方の自転車をよける際、バランスを崩して転倒。

事故状況はそんな感じですが接触していないので、ただコケただけという形になっています。
故意に自転車が飛び出して来たという証拠がなく説明は難しいですが、「自分には毎日、明らかに狙って飛び出してくる自転車が頻繁に来るのです」としか言いようがありません。




🌱
骨折していると分かり、結局1カ月近く仕事を休みました。
自分が毎月集金している所は、その月だけ他の人達が手分けして行って下さったそうです。本当にご迷惑をおかけしました。


そして🤔
予想外でしたが、仕事復帰すると
周囲から自分に対して心配の声がかけられました。

自分の集金先のお客さん達は、残念ながらずっと加担しており、明らかな居留守を使ったり、以前と違ったイヤな態度をとったりという事が続いていました。

それが1カ月休んで復帰すると、
「大変だったんですね」「もう大丈夫なんですか?」「本当に気をつけてくださいね」という優しいお言葉ばかりでした。

自分はこの被害に遭う前から、同じ地域を受け持っていて、元々悪い人達ではなかった事を知っているし、お客さん達と悪い関係ではなかったのです。
それが被害に遭ってから、あからさまにイヤな態度をとる人が増え続け、皆さん一斉に手のひらを返したように180度変わったのだと感じていました。
復帰後は、親切に声をかけて下さる方が増え続け、更に180度変わったのかと感じました。

要するに一周回って、360度になったような気がしました。

🍀
あるお客様が電話で「今から来て欲しい」との事で行ってみると、
マンションの2階から声をかけて下さり
「兄ちゃん、もう大丈夫なんか?」
「バイクはこっちの方に留めたらええ。」
「車来るから、気ぃつけよ。」
とわざわざ誘導してくださいました。
お金を頂いた帰りにも同じように、2階から周囲を見回して下さり、
「気ぃつけてな。」
と最後まで見送ってくださっていました。

正直なところ、他のお客様の中には
「なんだ今さら、白々しい」
と思うような上っ面の言葉に感じる方もいらっしゃいました。
でも、本当に親切に言って下さる方がいるとそう思いました。
こちらも人間ですからわかります。




嫌がらせや監視に加担する店舗も増え続け、被害後は長期に渡り買い物や飲食の際にも不快な思いをさせられます。
気に入っていたお店の人も、あからさまに態度を変えます。

🍀
仕事帰りに寄っていたコンビニもそうでしたが、その中で1人だけ態度を変えなかった店員さんがいました。
その頃には既に「まともな対応」をあきらめていたので、逆に感心する位でしたが、そこで買い物する際は落ち着いた気持ちになれたので、心の中で感謝でした。
疲れて帰る時、そのコンビニで缶ビールを2本買うのが楽しみになっていました。

ある時、そのコンビニの棚を覗いていると誰かが後ろから思い切りぶつかって来ました。振り向くとその店員さんでした。
その時は悲しい気分になりましたが、やはり「仕方のない事」だとも思えました。
おそらく彼の方でも精一杯やってくれた上での事だったのでしょう。

少々悲しい話ですが、他にも色々な所で加担させられる人達の悲哀だったり、ひとときの優しさを垣間見る場面があります。

🍀
我々は、繋がりを絶って生きる事はできません。
「加害者」「被害者」「一般人」は
否が応でもごちゃ混ぜの現実を生きています。
いわゆる「集団ストーカー被害者」として自覚させられると、その呪縛にとらわれてしまいます。

結局何が言いたいのか、よくわからなくなって来ましたが、
我々被害者が解放されるには、まず自身の精神的呪縛を解かねばならず、その上で社会全体の視点から、この問題を直視すべきでしょう。
被害者の連帯と共に、我々から見た「加害者.加担者」にも本当の意味で理解されねばならないし、ある意味、我々の方が連中に教えてあげる事が沢山あるのではないかと、、思ったりします。。