自分なんてない!
                           
そう思い浮かべた。
自分なんてない、そんなものない、
それは世界のほんの一部分だ、
全ては混じりあって、繋がっている…
自分なんてないんだ…


自分なんてない!



しかし、その先に見えるもの…

それはやはり自分なのだ。


不完全な形のままの自分。
いつも確固たるもののないまま、
くらげのように漂っている自分。
結局、自分からは逃れようがない。



そして、
世界は回り続けている。
僕はただ傍観していた事になるのかもしれない。

国会は、知らぬ間に法案を成立させているし、何か発言ができたわけでもなければ、
自己発信したわけでもない。


無力なのは何故だろう?

議会の多数決で決まるという事は、
賛成する国民が多かったという事だから
それでいいのだろう…、と。

本当にそれでいいのだろうか?
それが民主主義なら、民主主義って、
一体なんだろう?
民主主義でいいのだろうか?
民主主義って言葉を信じてるだけで、
民主主義の意味なんて、誰も
よくわからないんじゃないだろうか。

民主主義を逆手にとって、
うまく運んでおいて、
「これが皆さんの総意です。」
ハイ!
皆さんの好きな、民主主義ですよ、と。
システムだけが出来上がってるから、
その中で有利に推し進める手法を持っていれば、なんでも決まってしまう。
法案の内容は二の次だろうか?

ともかく、スピード有りきで国民が関心を持たないうちに決めてしまおう、と。
システムと言葉だけを巧みに利用した、
「民主主義」が出来上がってしまったのだろうか。
話し合い、を続けるべきだ。

これから何ができるのか、
自分にできる事は何なのか?
わかることは、
無関心から脱しなければならない事。


それにしても、
こんなに無力な僕を、毎日見に来てくれる人が多いのはすごい事だ。
朝出掛ける時から、夜家に帰るまで、
ぶつかりそうになるまで近くに来る。
不特定多数のみんなは、まるでつきまとうかのように、僕から目を離さない。

自分なんてないに等しいと思える。
あるのは、ただこうした毎日のなかの、
揺れる想い。
想いだけが、僕を動かしている。
それはいつも揺れている。
フッと、ひと息で消えそうな、
まるでロウソクの炎のように。


「存在することの危うさに
    最後まで賭けるのだ。」

これはジャンコクトーの格言である。
こう言うと、僕もロックの人間になれたような気分だ。カッコいい。

そうだ、僕が存在すること自体、危ういように、この世だって、この世界だって、
危ういもんじゃないだろうか?

今、確固たる権力を持っているからと言ってもわからない。
確固たるものにする為、人を監視するシステムを作り上げたとしても。
いつかはきっと、
フッと、ひと息で消えさるかもしれないんじゃないか?


仕事にしても、様々な市民活動にしても、
社会に貢献しなくてはならないと思う。
その意味では、
どんな仕事でも、社会的で政治的なのだ。

「企業は利益を追求するところ」
というけれど、そんな概念は後から作られた言い訳のように思える。
現実にそうなってしまったというだけで、
はじめからそれを目指したわけではないだろう。

世のため、人のため、
そのような行動が本来の仕事である。
そんな働きをしてくれた人々には
喜んでお金を払うだろう。

もう一度言おう。
世のため、人のために
動いて働いて、汗をかくのだ。
世直し、と言ってもいい。

考え方に相違はあるだろう。
しかし、権力に寄り添うような働きは、
決して人のためではない。
自分が、かわいいだけなのだ。
保身の為にやってるのに、口先だけは人のためだと言っている。

僕は、
世のため人のために、働きたいと思う。

被害者の活動も、世のため人のための活動ではないだろうか。
これが理解される事は、社会にとって大きな前進になるはずだからだ。

単なるきれいごと、
と思われるかもしれない。
それでもただ、
この想いは変わらないだろう。
しばらくの間か、ずっとか…。
いや消えないだろう、
想いだけはずっと消える事はないだろう。


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まとまりがありませんが、
今後も頑張りましょう!!
どうぞ、
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ありがとうございました。