襲われた記憶に襲われて恐怖に陥る。

何という理不尽。

性犯罪は、なぜここまで被害者が
全てを背負わなくてはいけないのか?

襲われた事実が忘れられない記憶として。


昨日の検察官女性が
上司にレイプされ、
口止めを要求され、
6年の月日を経て、
ようやく、事実を訴えるニュースを見て
足の裏から
虫が這い上がってくるような
恐怖が私を包んだ。


「これで、おまえも俺の女だ。」
よくぞ、抵抗できない状態の女性に
こんな言葉を吐ける物だ。

いや、抵抗出来ない状態だからこそ、
上司と部下という力関係があるからこそ、
安心して、
『人』であることを無視し、
『心』を踏みつけ、
『帰りたい』という言葉を無視し、
自分の力を見せつけることに
集中できたのだろう。
なんて、クソな男だ。


ただ、私は思うのだ。

性被害を受けた
検察官女性は、存在を重く認められていると。
彼女の言葉は
加害者を裁く力を持っている。


翻って、
児童性的虐待はどうだ?


私の存在は、
果てしなく軽く扱われている。

 

暴力の日々に無力な無抵抗な子どもであったこと。
周りのおとなが気づいても、
気づかないふりをすること。
見ない振りをすること。
なかったことにするように私に迫ること。
なかったことに出来ない私が責められること。


「かわいい、かわいい、嫁になってやらねぇ。」
わたしの上で息を弾ませる
クソ男は、
何を思って、そんな言葉を吐いたのだ。


『性』に目覚める前に『性』に踏み込まれて、
私の体を
私以外のクソな男が支配することを
止める手段も
抵抗する術も知らない11歳の私の存在は、
果てしなく軽い。


軽く扱われた私は、
誰もが私を軽く扱う事が
当たり前であるという
とんでもなく間違った
刷り込みをされた。


親という存在は恐ろしい。

私の場合は、
実母である。


実母の男が私を性的に搾取し続けた。

彼女にとって、
私は娘ではなく、
男を挟んだライバルにされた。


11歳の私は、48歳の男に興味などまるでない。

『父親』として
娘のように振る舞うことを
要求され、同居した初日から
「おとうさん」と呼んだ。


その私への男の態度は何だ?


子どもをつくったことはあっても、
育てたことがない男には、
誰にも手を出されたことがない
無垢な処女が
すぐそばにいるというのは、
ただただ、性的な興味の対象でしかなかったのだ。


そんな男に夢中な女が実母であったことが
私の不幸だ。


なんで、私を産んだんだ。
「あんただって、子どもなんて産まなきゃよかった
思う時がくるわよ。」
何度、この言葉をぶつけられたことか。

なら、生むなよ。

そして、引き取るなよ。

実父のところへ置いてくれば良かったのだ。

実父も、私の事は要らなかったのだろう。

生みの親、どちらにも
要らない存在であった私。


だから、実母は私が穢されることより

自分の男が、同じ屋根のしたで
自分より若い女に手を出すことが許せなかったのだ。


私が拒否出来なかったことが悪いと言われた。
『あんたに隙があるからだ』と言われた。

『性行為』についても、
なにも知識がなかった11歳の私は、
父親の立場の人が、
あんな気持ち悪い、
いやらしいことをしていいる意味が分からなかった。


家のなかで、11歳の女の子が
隙をつくらず生きていくなんて
無理だ。


家が一番危険な場所であることそのものが
『児童虐待』である。



人間の脳は、
本当に様々なことを記憶している。

忘れていることなどないのかもしれない。


夢のなかで、
就学前の記憶が甦る。

母親の憎々しげに私をにらみつける顔が出てくる。

人前で、私をけなすことばかりする実母。

同級生のお母さんが
懇談会で、私の夏休みの日記が良く書けていたと言う事で、
みんなで回覧したといい、
「あっこちゃん、絵が上手ね。とっても良い日記だったよ。」
と褒めてくれた。
その時の母の、苦虫をかみつぶしたような表情を思い出す。


なんだ、男が手を出す前から
私の事が嫌いで仕方なかったんだ。


実母の中にも
満たされたい物がいっぱいあったのだろう。


だからといって、
私を傷つけても
その穴は埋まらない。


人を傷つけた代償は必ず訪れる。


力がなくなってきたときこそ、
その人の生き方が問われるのだ。