わたしはそれこそ
幼少期から作曲という
言葉に良くも悪くも
縛られて生きてきた。

感激する音を聴いては
どのような構造に
なっているのかを
分析しようとしたが、
音楽理論を大前提に
理解を深めるのは
不可能だった。

あくまでも感覚、

「この場面にもし
この音が入っていたら」

不協和が成立して
とてつもなく美しい
世界観が創造される。

まるで偉人たちに

「底をみせてくれ!」

こう言われているような
錯覚を楽しみながら
不味いことなど
わかりきっている
寝起きの一服とともに
音操作にのめり込む我が
愛しく恋しくある。

制限時間までにあと
どれぐらいの実験が
可能なのか、
我から産まれるなにかを
体験できるのは
命あるうちなのだよ。



【至福の愛淫論】 

『認知的不協和とは音楽大学ではなく第五の心理学者から知った。違う分野を通して我の感覚が求める答えに出会える可能性の凄さよ。』


2024/04/30
愛淫家の拠り所
志村    嘉仁



Twitter界のオカンさんとの対談
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今日の「秒速音声」メッセージ
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