なぜ人間は我慢を
美化しだしたのか。

そしてさらになぜ
美化された意識を
守ろうとするのか。

我慢せずに自由を
確立して生きる者に
指をさし嘲笑う、
その生き方がどれほど
野蛮で迷惑なのか
考察することもできない
低脳ばかりが目立つ。

社会を生き抜くために
我慢は絶対に必要だと
思っていたいのは
単純にエゴでしかなく、
仮にその正義が違ったら
路頭に迷う者どもが
意味なく暴動を起こす
なんとも幼稚な世界を
あなたはどうみるか。

人様との距離感を
考えるにしろ我慢など
かけらも必要なく
それどころかしっかり
話し合いができれば

「色んな生き方がある」

この世界の魅力について
我慢していたい者と
我慢しない者がそれぞれ
都合の良い距離感を
形成することが可能なのだ。

世の中不平等だと
ふてくされていたい者は

「我慢してこそ
世界平和がある!」

とまで無謀に断言するが、
では理論理屈においての
正義を貫くためだけに
人体のこえを無視して
しかめっ面するその姿の
どこに平和があるのか。



【至福の愛淫論】 

『我慢してなにか得したのなら不平不満などでてこない。凄いとか偉いとか、その言葉を人格に当てはめ人々は必要のない争いを求める。』

2024/04/05
愛淫家の拠り所
志村    嘉仁



Twitter界のオカンさんとの対談
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