《もう、いいんじゃないか、自由になっても。》
もうそろそろいいんじゃないか、自由になっても。
自分を痛めつけて修行やるのもいいけど、
ただやつれるだけだろ?誰も慰めてくれないよ。
難しいことに立ち向かうことはかっこいいんだろうけど、
それより、元気で笑顔のほうがかっこいいよ。
「難しい」とされることを「実は難しくない」に変えるのも、
自分自身がそれに気づいて楽になったのなら
それで十分だと思うんだよな、人を変えようなんてしないで。
自分が楽になれば、その楽な想いが人に伝わるもんで、
それが何かを真剣に追究した結果の「楽」であるなら、
その「楽エネルギー」が生命体に与える力はすごいと想う。
君が想っている「自由」というものを出してみなよ。
どういう感じが「自由」なのか、想いを出してみなよ。
スッキリするとかじゃなくて、本当にそうなれるから。
「そうなればいいな~」を繰り返し出してみなよ。
不思議と「そうなる気がしてくる」から。
そのうち、「本当にそうなっちゃうかも!」になるから。
そこまできたら、もう「そうなったこと」にありがとうでいい。
あ、よくないことを思っているうちは、
いいことを想えるまで静かに休憩しておくのがいいかも。
よくないことを起こすのも「自由」のうちにあるからね。
「ほら、結局自分はこういう人生なんだ。」
そういう人生を望んでるからそうなった、それだけのことなんだよ。
「結局自分はこうだ」と自ら不幸を呼ぶほうに考えているから。
毎日、毎日、不幸のどん底にいるわけじゃない。
笑えるチャンス、幸せになるチャンス、いくらでもあるはず。
それを拒んでいるだけかもしれないよ、
「そんなに都合よく生きれない」とか理由をつけて。
それってぜんぜんかっこよくない。
人からは、「不幸を楽しんでる」としかみられてないよ。
誰も、不幸を楽しむ人のそばには寄りたくない。
どんなに可能性が小さくても、
夢を追い続ける人のほうが魅力ある。
可能性がゼロに近くたっていいの、なくたっていい。
ただ、想像力を与えられている以上、
可能性はいつも100%までいける。
どれぐらい本気で、「都合よく」「自由に」「楽しく」を求めるか。
本気になれば「自由を動かすこと」すら可能になるんだから。
「自由になる」んじゃないよ、
「自由を動かす」の、コントロールするの。
求めたら、与えられるんだから、いいことも、よくないこともね。
・・・いいことも、よくないことも、「自由」にある、これ、深い・・・