《吸いたくて吸う、
食べたくて食べる、飲みたくて飲む。》
こういう食べ方をすると、健康にいいからそうする、
「おいしい」ともいわず、「まずい」ともいわず、健康にいいからと。
こういう付き合いをすると、人脈が増えるからそうする、
「好き」でもなく、「嫌い」でもなく、人脈が増えるからと。
ポジティプになろうとし、
空元気を作り元気なつもりの人が多いけど、
健康にいいから、人脈が増えるから、というだけのこれは、
無理やりポジティブになろうとするのと何ら変わりないと思う。
「30回噛んで食べる」というルールを守っているとしても、
「おいしい」と感じれないままそれを実行するのはどうかと思う。
朝、昼食べないで、
一日一食の人を「不健康」だというのも間違い。
三食きっちり食べる人だって病気になる。
不規則な生活をおくっているわけじゃないのに、風邪をひく。
必要以上のものを無理に摂ると、それも病の原因になる。
カラダが欲してるのが何か、ココロが欲してるのが何か、
まずはそれを感じることから
始めてみることがとても大切だと想う。
食べ物は逃げない、飲み物も逃げない、たばこだって逃げない。
焦ることなんかない、誰も奪ったりしないんだから。
でも、誰にも奪われないことが当たり前という生活に慣れて、
「ありがたみ」というのを忘れてしまいがちなのも事実。
祖母に聞く戦時中の話じゃないけれど、
いつサイレンがなるのかわからない時代に生きた人からすれば、
今のこの時代はどれだけ恵まれていることかと想う、物には。
「愛の貧しさ」は、戦時中より増しているのかもしれない。
たばこを吸う、吸わないだけのことで毎日戦争している人もいる。
自分自身と、または他人と、
吸わないことについての論議や吸いたい我慢との格闘。
僕のなかでは「禁煙ゲーム」という、宗教に似た世界。
その世界に住んでいたこともあるからよくわかる。
「救い」もなければ「癒し」もないんじゃないかな、
それを求めているはずなのに、まったく逆のほうへ向かってる。
いい加減、戦争やめたらいいのに。
「勝利」だと思ったそれは、実は「敗北」に近いことだった・・・
禁煙ゲームの世界から抜け出して今だに感じていること。
・・・たばこを吸う側、
たばこを味方につける側、吸わないことも楽です・・・