そんなことじゃだめだよ、しっかりしな。


真面目に生きる」という意味を疑ってしまう。

どういう生き方が「真面目」なのかを真剣に考えたとき、

世間から「どうしようもない」と言われる人も、

真面目に生きている人」以上に真面目だなと感じる。


常識から外れた生き方、と一言でいったとしても、

生きるか死ぬかで生き抜いている人からすれば

常識から外れたぐらいじゃぬるま湯もいいところじゃないのかな。

ちょっと変わった自由人」に羨ましがる人はいるけれど、

本当に常識から外れた人(常識という言葉がない人)からすれば、

変わってるわけもなく、当たり前にしかみえないんだから。


たばこを吸わないだけで「真面目だね」と言われたことがある。

これほど納得いかない言葉はなかった。

ようするに、世間一般では「汚らわしい物」でしかないわけだ。

それにふれないから「真面目」なわけ。

この「真面目」の解釈、本当に納得できる人、いるのか?


しっかりしろ、仕事しろ、もう遊んでられない歳だろう・・・。


その人の価値観でしかない。

世の中は何を歓迎するかというと、「肩書き」だ。

世間一般が「凄い」「立派」と認める「肩書き」だ。

それがほしいなら、それを求める生き方もいいとは思う。

しかし、僕にはしょーもないことにしか感じられない。

肩書きだけ持って仕事がないとつぶやく人より、

どうにかして生きようと

その日しっかり現金を持って帰る人のほうが好きだ。


世の中お金じゃない、愛だよ。


このセリフは、

しっかり現金を稼げるようになってから使うべきだと想う。

お金じゃないとかいいながらも、愛を持ってお金を使いまくる。

愛を持ってふれられることで嬉しいのは、

お金も人もペットも植物も空気も同じ。

もちろん、たばこだって愛を持って吸う、

愛がなければ不味くなるでしょ。

上手くできてるんだよ、世の中。

しっかり稼ぎ、しっかり遊び、しっかり楽しみ、しっかり笑い、

それでいいんだよ。

しっかり感動し、しっかり泣き、しっかり頼り、しっかり飲み食いし、

それでいいんだよ。

こういう「しっかり」なら、言われて嬉しい、元気出るよな。


・・・すべての言葉は、

愛を持つだけで光に変わる、やっぱり愛ですね・・・