《そんなに待てない!早く欲しい!》
5年先、10年先、たばこを吸わない生き方をしていたい。
そういう思いから、「早く」やめたいと焦る。
「今すぐ」にやめたい、だから、日数をすごく気にする。
1年は365日、5年は1825日、10年は3650日。
こうして数字にするとすごくわかりやすいんだけど、
禁煙日数を数えている人のブログには
「禁煙○○○日目」と表示がされている。
それが時間単位の場合もあったり、様々。
たばこはカラダに悪い、毒物だという思い込みはすごい。
美容にも悪い、病気になる、何一ついいことない、
ただ気分を紛らわすだけで、いいところなんてない、
半分思い込み、半分事実、半分嘘、その世界にいるわけだ。
禁煙をがんばってる人の言葉のほうが毒だったりするわけだ。
「吸わないだけ」の表現の仕方もまるで正反対。
片方は「吸いたいのを我慢して、吸わないだけ」。
片方は「吸いたいと思わないから吸わないだけ」。
まるで意味が違う。
「早くやめたい」から禁煙宣言をする、
と多くの人は思い込んでいるけど、
禁煙宣言するというのは、実は「早く吸いたい」からなのだ。
本当にやめたい、たばこを口にしたくないのなら、
誰に宣言することもなく、
黙って、静かに、ただ吸わなければいい。
そして、人に「あれ?やめたの?」と聞かれたら、
「いや、やめてない。」と言って、
まだ吸ってるイメージを持たせる、それぐらいでちょうどいいのだ。
「カラダによくないよ~、早くやめたほうがいいよ~。」
といわれたら、
「そうだね、禁煙は難しいよ、本当に。」とでも言って、
あくまで禁煙はせず、静かに吸わないだけをする。
そうしているうちに、人の言葉にストレスを感じなくなるのだ。
「禁煙してないみたいだけど、最近吸ってないよ、あの人。」
これぐらいでちょうどいい、これが、「不思議」の秘密なのだ。
たばこを吸いたくない人が求めているのは、
「禁煙する」ことでも「やめる」ことでもなく、
「吸いたくないから吸わない」でいられる状態を作りたい、
ただそれだけのことだと僕は感じる。
たばこを吸わないことで「偉い」と思われたい、
難しいとされる「禁煙」を成功し、褒められたい、
とても冷たい言い方をすれば、これは「愚か」なことでしかない。
僕自身が愚かな経験をしたから、わかること。
たばこを吸わないことと、禁煙することは、全然違うのだ。
たばこを吸ってる自分も、
吸わないでいる自分も、両方好きになる。
禁煙宣言をせずに、黙って吸わない人は、そういう人だと想う。
日銭稼ぎに現場へ行くと、たばこを吸う人のほうが多いけど、
そのなかに自分がいることに後ろめたさなんて感じない。
隣でおじさんが、おばさんが、兄さんが、姉さんが、
たばこを吸いながらパチンコを打っていても、それは当たり前。
それで食ってる人の吸い方は、かっこよくさえ思う。
吸わないでいられる日々を「早く欲しい」と願うなら、
世の中で使われる「禁煙」という言葉をまず意識から外すこと。
常識のなかに生きている以上、
禁煙というルールのなかでどうにかやめようとしている以上、
たばこは、たばこを吸う人の味方にはなってはくれない。
なぜなら、たばこにとって、「禁煙」は天敵だから。
たばこを味方につけるということは、「禁煙」を敵に回すということ。
おかしなものだよね、「禁煙」って「正義」みたいなのに。
もちろん正義で使われたりもしてるよ、禁煙席とか禁煙場所とか。
そこでルールを守れない人はどうかと思うけど。
吸えるところで吸う、吸えないところで吸わない、
これぐらい守りたいよね。
・・・「旨い」と感じるものを、
「不味い」と思い込む必要、ないと想います・・・