最近、気持ちのデトックスをするようにしている。

 

基本は、ただ味わう。

そして、吐き出す。

 


心の癖の仕組みが分かったところで、時間がたてばやっぱり気持ちは少しずつ濁ってくる。

慣れていたあの頃の心の形に引き戻される。

 

 

それを無かった事にすると結局また、自分の本音が見えなくなる。

 

 

 

 

何年もかけて好き好んで悩んできたんだから、

何度だって大丈夫なふりをするし、

何度だって恨み辛みを反芻する。

だって、その状態に入りたいんだもんね。

心地いいんだもんね。

 

 

記憶は700%嘘。

それは確かにその通りで、大概は気持ちのすれ違いと勘違い。

自分の都合のいいように受け取っているだけ。

 

その問題の証拠を掴みに行ってるだけ。

思考は現実化する。

 

 

 

だから、そんなものにいつまでも支配される必要はない。

いつまでも妖怪可哀想をやってるんじゃない。

 

そうして、自分に喝を入れる。

 

 

 

 

ここが、心理をちょっとかじった人の落とし穴なんじゃ無いかな。

 

 

 

 

実際のところ、まだまだ全然成仏していないし。

思考の癖に引っ張られて、何度も思い出しちゃうし。

 

 

でも、自分の前提が見つかって自分の本音も分かったような気分になってるから、感情に浸ることもできない。

 

そうして、自分の気持ちから目を反らす。

 

 

 

ここが、心理をちょっとかじった人の落とし穴なんじゃ無いかな。

(2回目。)

 

 

 

 

 

気持ちが成仏してないんならさ、何度もしつこく味わえばいいよね。

一回ぱっかんしたらそのお題は終了、なんて事はやっぱり無いわ。

 

そりゃ、ぱっかんしたら少しは軽くなるけれど。

 

 

それでも、妖怪可哀想はしぶといからね。

手を替え品を替え、何度でも誘惑にくる。

 

 

 

だからさ、

何度だって味わえばいいし、

何度だって吐き出せばいいと思うんだよね。

 

分かったふりして大丈夫なふりすると、結局長引くよ。

 

 

 

特に、なんでも無いようなふりをしてきた人。

大した問題じゃ無いようなふりをしてきた人。

傷ついていないようなふりをしてきた人。

平気なふりをしてきた人、はね。

 

 

 

 

 

チューインガムと一緒。

味が無くなるまで、何度も噛むじゃん。

 

 

悲しかった気持ちだって、怖かった気持ちだって、恨み辛みの気持ちだって、大好きだった気持ちだって、何度も味わって、何度も泣いて、怒って、悲しんで、したらいいじゃない。

 

 

そしたら、もう噛みたくないわって時が来るし。

その時が、思ひ出ガムの捨て時。

 

 

それでもまた口寂しくなるし。

新しい味も噛みたくなるだろうし。

 

 

 

 

うん。

それでいいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

って、隣の鈴木さんが言ってた。

 

 

 

 

 

P.S.

7月だからブログのタイトルを少し変えてみた。

すわこのココロミからタクラミへ。
そのうち悪ダクミになればいいなぁ。