夏になると保育園に水筒を持って行く機会が増える。
去年は娘も好みがなかったので、機能性と携帯性重視の普通の水筒を持たせていた。(赤ちゃんの時にミルク作る用にお湯を持ち運んでいた水筒。)
でもこの水筒は随分と使い倒してすすけてきたし、園児が持つには渋すぎるし、娘もそろそろ好みの出るお年頃だし。
今年は娘の希望の物を用意してあげようかなと思った。
欲しいものはたやすく手に入る、娘にはそんな風に思えるようになって欲しいから。
と言うのも、私の幼少期は好みのものを買ってもらったという経験に乏しく、今現在もなお、本当に欲しいものは手に入らないという前提に苦戦しているから。
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幼い頃の私は、〇〇が欲しいと言えば、確かに数日後には用意してもらえた。
でもそれは絶対に私の希望したやつじゃない。
これが、あの頃の私の日常。
例えば小学校入学の頃。
キャンディキャンディの自転車が欲しいと言えば、何となく雰囲気だけ似た見たこともない女の子のキャラクターの描かれた、ピカピカの自転車が用意された。
確かに私だけのために買ってくれた真新しい自転車ではあるのだけれど、それを見た私は、少しばかりのお金をケチられているようで、蔑ろにされているようで、もの凄く惨めな気持ちになった。
その切なさを隠すために、私は精一杯の文句を言った。
母にしてみたら、新しい自転車をわざわざ用意したのに、喜ぶでもなく感謝されるでもなく、第一声から文句を言われるのだから、面白くない。
私は泣いて抗議し、母はむっしゃりとしてだんまりを決め込む。話し合いの余地は無いし、結局母の決定が覆ることは絶対にない。
だから私は、悔しい思いを抱えたまま母の決定を受け入れるしか無かった。
サンリオキャラクターの勉強机が欲しいと言えば、ある日学校から帰ると無地のシンプルな真新しい机が用意されていた。
それを見た私は、またもや心底がっかりした。
そして結局、その机を中学生卒業まで使った。
高学年にもなれば、子どもながらに人間関係は複雑になり、周りの友人に何かを指摘されるような隙を作ってはならないと構えるようになる。
そんな時、靴の買い替えタイミングでスニーカーが欲しいと言ったら、母はよりによってスパイクのついたサッカーシューズを買ってきた。ワゴンセールでもしていたのか。
母のその神経が、無神経さが信じられなかった。母は全く子ども心をわかってくれなかったし、分かろうともしてくれなかった。
それでも古い靴はすぐに捨てられ、翌日から私はそのスパイク付きサッカーシューズを履いて登校するしかなかった。
そのスパイクシューズを履いている間、幸いな事にクラスメイトからいじられる事は無かったけれど、自分の無力さの象徴のようなその靴を履くたびに悔しさが、蘇った。
この時の事は流石に10才年上の兄ですら同情してくれ、母に苦言を呈した。(何の効果もない。)
大人になった今でも笑い話として話題に上がるけれど、私にしてみたら昔も今も全く笑えない。
正直なところ、リクエストをわかってるくせにわざわざ違うやつを買ってくるから、母は頭がおかしいのだと本気で思った。
そう思わないと、辻褄が合わないくらい、母とのコミュニケーションは難しかった。
私は、母と向きあって話をした記憶が無いし、話を聞いてもらった記憶もない。
本当は少しくらいはあるだろうけれと今のところ本気で思いだせない。
だからなのか、大人になった今も私は母と(人と)向き合って話をするのが苦手だ。
一緒に連れてってくれたっていいじゃないか。
私は一緒に買い物に行きたかったんだ。
寂しかった。
大切にして欲しかった。
こっちをみて欲しかった。
そんな言葉を自分にかけると、未だに涙が浮かび上がる。
あの頃の私は、つねに重い蓋で押さえつけられているような感覚がしていた。
私の持つ、本当に欲しいものは手に入らないという圧倒的な諦め力、無気力感は、この頃培ってしまったのかもしれない。
(続きます。)