これを見てきた。

チケットを買って、ネットで時間予約して入場可能。

「随分、大げさな」と思っていたが、当日いってみて、結構納得できるほどの混雑。

平日なのに。

パンダ無き後の客寄せゴッホ?

 

ただ、この歳になって言うのもなんだが、大変勉強になった。

これまで、勝手にゴッホというのは、「うねうね~!」の画家だと思っていた。

こんな感じ。点描では、もはやなくエネルギーと狂気にあふれたすごい絵・・・

だが、私の勝手な誤解であった。

今回の展示では、おおざっぱではあるが、時を追って掲示されており

その作風の変化というか、多様、多彩な絵をみて、別人のようなゴッホの作品にふれられた。

時にミレーのような、時にモネのような、そんな時代もあったらしい。

最初の頃の絵はとても暗い。当時は巨匠がこれが絵だ!みたいな感じで言ってたせい?で、流行っていたそうで。

いやいや、黒いぞ~暗いぞ~。(絵は写真撮影禁止の2Fにある)

 

今回、おすすめは

「綾瀬はるか」さんの音声ガイドプログラム。

700円。これがなかなかの優れものだった。

 

お陰で混雑と人ごみのなかでありながらも大変勉強になった。

というか、綾瀬はるかさんの声を楽しんだというべきか・・・てへぺろ

(予約制のくせにディズニーのアトラクションか!くらいの行列で待つくらい外も中も混んでいる)

この絵は撮影可能。例に漏れず、大行列。並んで耐え忍んで絵をみて撮ってきた

 

「ぐりぐり」の半歩手前なのかもしれないが、

色使いにはゴッホを感じる。

 

なかなか、ゴッホな日であった(我ながら意味不明)

老いの個人差はとても大きいから「何歳からこうなる!」みたいな話は本来あり得ない。

よく巷に「50歳からの~」とか「70歳からの~」みたいな本のタイトルが溢れているが

実態は年齢に、特に高齢になればなるほど、意味がない。

無責任な「がんばればなんとかなる」的な”意識高い系”本と大差ない。

がんばっても無駄なものはいくらでもあるのに。魔法で飛ぶとか異世界に行くとか、無理だから。

 

ただ、歌にも、

竹内まりやさんの名曲「人生の扉」 

 

のようなものがあるので、一概に全部を否定するものではない。

「人生の扉」のように、上手にこの辺りの問題がないように、”50代は~、60代は~、70代は~”と歌い上げている。”90代以上でも私は生きているんじゃないかな~”みたいに実に素晴らしい。例外的とはいえ、竹内まりあさんは天才だからなのだろう”

 

話を戻すと、老化の個人差は、子供の成長の個人差よりも振れ幅が大きい気がする。

小学校とか幼稚園などが一律年齢(なので、誤差1年程度)で仕切ってなんとかなってきた程度

(例外はどうしてもあるが、制度を変えるほどではなく、制度の補足程度で社会は乗り切っている)なのに対し、

 

老人は65歳までに亡くなる方もいれば、100歳超えても農作業される方もいる。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life23/dl/life23-02.pdf

現在66歳の人間が生まれた1960年(昭和35年)の時の男子平均余命は65.32歳とあるから

66歳時点では50%は死んでいたことになる。

幸い自分はそっちじゃないほうだったので66歳でも生きている

ただ、66歳まで生きた人の平均余命は19年程度(令和5年,2023年)とあるから、

この先19年間で自分を含めた今の66歳の人の半分は死ぬことになる。

たったそれだけの人生。85歳まで生き延びればさらに6年のびるかもしれない。

平均余命自体が見直されても30年延びるということはまずないであろう。

 

ただ、自分は理屈はわかるのだが、自覚というかそういう感覚はない。

なかったというのが正しいのかもしれない。

 

ゴルフコースに出ることは、もう無いのであるが、(日本では結構ゴルフコースとなると遠方にあって敷居も高く、インドネシアのように、車で20分、毎週プレーなどというようなわけにはいかない)

練習場だけは歩いて2分の所にあるから週2位でボールを叩きに行く。

スクリーンがあって、画面の先にボールが飛んでいき飛距離何ヤードというのが表示される。

 

もやもや

この数か月、数週間の間、行くたびにこの飛距離がどんどんさがっていく。

最初は調子が悪いのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

もともと、飛ばなくなったと嘆いていたが、回復することは稀で、行くたびに下がっていく。

ユーティリティー U5だと165ydとかでていたが、150になり140になり。。。。ドライバーもU5も同じ距離。

なにより、クラブがボールの芯に当たらない。

多分、体の軸が保てなくなっているのだろうが、その自覚があまりない。

 

立ってクラブを振るのがやっとのおじいちゃんにしか傍からはみえないのかもしれないが、自分の中の人はいまだに成長期のつもりで、いつかもどるのではないかと期待しつつ、続けてはいる。が、その感覚と実態の乖離は大きくなる一方。

 

インドネシアで一緒に回っていた70代、80代の方々は元気にやっていたと思うのだが、

それからみると自分は何とも情けない状態だと、数値で突きつけられる。

 

当然既に、上り坂の青年や中年期ではないとはわかっている。

それにしても

「まだまだいける高年期(という言葉があるのかどうかは知らない)」と思っていたが、

実際には下り坂の老年期となっているのを知らされるゴルフの練習場。

 

確かに目も悪くボールが見えないし、体を動かすと一々、あちこちの節々、筋肉が悲鳴を上げる。

普通に振っているつもりのスイングも”痛い!”と、随所の反射的な抵抗にあい、スムーズに動いていないのだろう。

響きの良いボールの音が聞こえず、なんかダフッてたり、ゴムティーばかり叩いてたり、自己嫌悪に陥る。

 

感覚では以前のように振っているつもりなのだから、以前程度の数字が出てほしいところなのだが、

機械はそのあたりの気持ちを考慮してくれない。

平均余命の手前側(それ以前に亡くなる半分のグループ)に入ってしまったのかなぁ。。。

 

やばいな。王養母の桃でも貰ってこなければ。もしくは仙豆とか落ちてないかな?

高麗芝の越冬で、色を付けたほうは、いち早く成長を始めており、芝刈りしないとならなくなりつつある。

雑草も繁殖旺盛で、見つけるたびに草むしりの今日この頃。

はっきり言って、芝生なのか雑草なのか区別つかないから、適当に違ってそうならとりあえずむしる。

実際どっちでもいいわけで、残ったほうが芝生になるかもしれない。

 

ただ、高麗芝は、マンション購入時に専用庭として植えてられている共有部分(の専用使用)なので

あんまり変えてしまうとまずいからそれなりに善管注意義務を果たさねば。。。

 

で、草むしりをしていると、「あれ?これもしかして雑草でなくて高麗芝だった?」事件発生。

パット見、なんか雑草?みたいな様子

こんな感じの茶色い穂のようなものが、はえていた。むしるとなんか芝生がついてくるてへぺろ

 

視力0.3の目でよくよく観察してみると(見えやしない)、こんな感じ

 

高麗芝が実りの春を迎えたのか?

いやいや、高麗芝はランナー(触手のようなものを伸ばして定着する)で増えると聞いているし、

高麗芝の種??売ってたっけ?くらい見ない。基本は四角い板状の芝を張り替えるものと思っていた。

で、これ、高麗芝の種をつけるのか?

 

調べてみたら、なんと何も生まない退化した種なしの穂らしい。

 

 

道理で冬芝の種は売っているが、高麗芝の種は売っていないわけだ。

なんか身につまされる老人がここに。。。もやもや

 

高麗芝でも

春先になるとこのような穂をつけることがあるとのこと。

通常は芝刈りしてしまうので、あっという間に見えなくなる運命。

そだてても殻のばかりの穂とのこと。あれだな、高麗芝の意地だな。

でもまぁ、ランナー伸ばして増えればいいんじゃね?とも思うが・・・高麗芝の意地だな

 

WOSしたほうの芝生の高麗芝は、いまだ復活していない。

やはり冬芝の生命力で縄張り争いに負けているのか遠慮しているのか。。。

 

首都圏近郊の0メートル地帯だと、

WOSではなくて、色付けのみのほうがよさそうだ。

 

ところで、

カメムシ、コガネムシとその手下(芋虫)の季節になったらしい。

クモもコバエもカも活発化。雨が降ればミミズがバルコニーを跳ね回る。

こんな環境(ほぼ都会)なのに、自然は強い

 

コガネムシ、芋虫用の殺虫剤 および殺菌剤をまいた。

何かと手がかかる。

 

「偽”実りの春”」も終わり、後、残り20回くらいしか来ない夏になりつつある。

20回は欲張りすぎだろうかキョロキョロ・・・