3週間も入院してたら、人見知りな私にも病室の友達が出来ましたキラキラ


女性の4人部屋で、脳神経内科以外の患者さんも時々入ってたりで、入れ替わり立ち替わりだったけど
なかでも2人と

うちひとり ( 仮にAさん ) 4年経とうとする今でもよくLINEしてもらってます
本人同い歳、相方も同い歳、子どもは男の子ふたり成人済みと共通点も多く

3人で話して、笑ったり泣いたり助け合って
退院後も連絡し合う約束してました
でも…8月に出会って、もうひとり ( Bさん ) とは11月にはもうお別れになっていますぐすん


Bさんは、ちょうど10歳年上でしたが、とても明るくて若々しく歳の差感じない話し上手な人
保険屋さんしてると言ってました
毎日一緒にいろんな話しが出来ました
病院の徘徊…じゃなくて探検方法教えてもらったりウインク
びっくりな、旦那にも家族にも秘密、墓まで持ってくよーと自分が不倫してた話しとかアセアセ
車椅子の彼女を私が押して、売店にアイスクリーム食べに行ったりキラキラ
お互いの身体の状態の話しして

彼女は、私が入院した日ころに、検査がひと通り終わり告知、難病申請して治療開始待ちなようでした
病名は覚えていませんが、立てないようでした
グロブリン点滴と言ってたので筋無力症?
それ以外は身の回りも普通に出来るし、食事や会話には全く不自由無し

5月ころまでは普通に歩いて普通に仕事に行っていたと、見た目病気を感じさせない私と同じくらいだったと言っていました
最初に病院を訪ね、改善しないから大きめ病院へ行き、次に検査入院で7月半ばに大学病院へ
その待っている間に歩けなくなったと
私のように病院の予約待たず受診してたら、こんなに進行しないうちに治療出来たかもと

それから数日、数回の点滴で、浮腫が出て血行の悪そうな足がみるみる血色良くなり、履いてるスリッパが落ちなくなったと自分のことのように3人で喜びました

そして、定期的な治療に通院は難しいのでしばらくしたらまた入院する、また会えるカモ
と退院していきました




その後、私は退院
Bさんの2回目以降の入院にもAさんは逢えたようでした

2回目のころは腕が上がらなくなったと
その後、腕に力が入らず車椅子移乗が自分で出来なくなったと
痺れがつらいと

そして、息苦しいときがあると

それから何度か入退院するうち、11月になって病名が変わったと連絡もらいました
私と同じALSの診断が出たというのですアセアセ
「私のは特殊」とも言っていましたが、進行がとても早くすぐにも気管切開の必要があるとも

当然だけど、迷っているようでした
彼女の決断は気切しないだったのか、間に合わなかったのか…






このとき、生きてほしい私も気切を勧めましたがそれは正しかったのか?
自身では気切を望んでいないのに、何故勧めたのか?
もっと気持ちに寄り添えなかったのか?
寄り添えていたら、もっと心穏やかになれたかもしれない?
今でも悔やむところ





悔いても過去は変わらないけど







Bさん、迎えに来てくれないかなーとか
付き合い短いから無理かゲラゲラ
なら、ばぁちゃん ( 実母 ) 来ないかなーとか

よく考えるゲラゲラゲラゲラゲラゲラ









✨ Pick Item ✨



パックだから手軽
そして何より美味しいのです


ハンドル部分が長いから使いやすい
キャップになかなか入らないので
内側を少しヤスリで削って使ってます




基本のセットの中が減らせたり
増やせたりがいい
新鮮!週一で注文だけど充分1週間
日持ちしてくれます


柄の部分の角度を持ちやすい角度に変えれる
私はこれでジャガイモやりんごの皮も
むきます



指で押す部分が長めなので
指先の力が弱くても使えます
私は一年中鼻炎でずっとお世話になってます
ゲラゲラ



着脱簡単!
コットン100でちくちくしないのも⭕️
これからの季節に
細くなった腕がちょっと隠せるし
ウインク合格







ハムスター