あらすじ
ウルトラマラソンの猛者こと仙人様より刺激を受けて、心が折れる・再起動という魔法のようなワードを体験したく、無意識的にウルトラマラソンにエントリーしてしまった9月の上旬。
準備不足が判明した11月上旬から一気に装備を準備して、準備不足の体のことは忘れて、心をセット。早く寝ていざ、レースです。
ランナーの命ともいえる、GPSウォッチを忘れ危機一髪で携帯を取り出し何をのがれて、レースは開始しました。
レース後も携帯アプリを消したりするトラブルに見舞われながらも南伊豆の大自然を心地よく体感し、25km地点まで。
55kmで心が折れて、60kmで心を取り戻し、75kmをなんとか完走。
そんな私がウルトラマラソンで得たことなどをシェアします。
ご興味があればチャレンジしてみてださいねー!(という期待の意味を込めての特別編^^)


75kmを出し切って得られたもの

ウルトラマラソンに挑戦することに意味があるとすれば、
・本当の自分との対話であり、
・人の優しさに感謝できる心を養うことであり、
・自らの限界のその先を見に行くこと
だと思います。

少し、解説します。

・本当の自分との対話
人により運動能力は異なります。
だから限界点も違うとは思います。
現時点の私の場合は、1つの限界が30km、極限が60kmぐらいではないかと思います。(あくまで現時点)
30kmは肉体的にガタがきます。が、それは精神力でカバーできます。
でも60kmは精神力の世界より、より上位の世界の生命力にあると思います。

精神力は自分でも操作できる概念ですが、生命力とは命を引き出すことになるので、おいそれとは使えません。
脳と体だけでは使わえません。

それを使うということには、相応の理由が必要なわけです。

体は問いかけます。
生命力を使ってまで、それ(今回の場合ウルトラマラソン)行う十分な理由はあるのか?と。

これは、とりもなおさず自己との対話であり、その対話に失敗すれば、再起動はおろか、再起不能になる恐れがあります。

アイアンマンを完走したある兄貴がこんなことを言っていました。
アイアンマンとウルトラマラソンを完走したら
「火事場の馬鹿力の出し方がわかると。」

その話を聞いたのが11月上旬で私には、その時に何の話かよくわかりませんでした。

でも、今ならわかります。
自分の生命力を発揮できるだけ自分と向き合うことができるのか。
その十分な理由により、生命力を使うことができるのか。
これが兄貴が表現していた火事場の馬鹿力なんだろうなと。

まだまだ、自在ではないけれど、そんな世界を垣間見た気がします。


・人の優しさに感謝できる心を養うこと

人生31年生きて、やっと「ありがとう」の言葉の意味を”本当”に理解できました。
これからも本気の「ありがとう」と共に、みなさんからエネルギーをもらい、頑張っている姿を通じてエネルギーをお分けしたいです。


私の場合、たぶんこの感覚はフルマラソンでは味わえません。
たぶん限界を越えれないから。
ペース的に厳しいというのはあるかもしれませんが、フルマラソンなら表面的に自分を出し切ったら終わるのかなと。

ありがとうとは思えても、心のそこからその声は出てこないようにも思えます。
(いや、もちろんありがたいんですよ。微妙なニュアンスの問題です)

心からその声が出てきた時、私は泣きます。
ウルトラマラソンを走りながら泣いていたのは数少ないようにも思いますが(汗)

人の優しさがうれしくて、暖かくて、自然と涙が出てきます。
おかげで息が苦しくなるので、もう少し対策は必要かと思いますが。


・自らの限界のその先を見に行くこと
自分の限界って案外近いです。
限界だと思っているところがまず近い。
そして本当の限界はその倍ぐらいの感覚。
本当の限界を超えるとどうなるか。体は脳の命令を聞きません。
そもそも脳が別の命令を出しているかもしれません。

本当の限界の先は、自分の生命力と向き合うという領域に達します。
たぶん、寿命縮まっています(汗)

でも、その自分の持つ、普段手を出すことが出来ない生命力に触れた時
人間の持つ能力の偉大さに気づけます。
大したことのない自分でも、ここまでできるのか。と。

限界のその先には、人間の偉大さを掴む感覚があります。

生きていること、生かされていることに感謝できるようになります。
そして、そんな自分のちっぽけな限界をやすやすとクリアしていく他の方の挑戦力に心から敬意を表せます。

やってやれないことはなく、やらずにできるはずもなく。
人間の偉大さ、生きとし生けるものの偉大さに触れた時
ほんのすこし、悟りの片鱗を見れるようにも感じます。


何も、お寺で修行しなくても、意識をもって、ウルトラマラソンに出れば
修行と同じような効果があるります。(たぶん)

人間の弱さと一番身近な人間としての自分の弱さ
人の優しさとその優しさをベースに人を信じる力
自分の本当の限界の見極めと限界を超える力

これらが見えるようになってとき、人間としての円熟さが備わってくるのではないかと感じます。

これらを私のようにかじった程度ではなく、見続けているような人であれば
その人は、とっても強く・優しく・しなやかなんだろうなぁと。
そして、私自身そのように生きていければいいなと感じます。

まだまだ、片鱗かもしれないけれど、その境地を垣間見れたこと。
とても幸せな時間でした。(むーっちゃしんどかったですけど!笑)

しばらく走りたくない(T_T)


ウルトラマラソン出場のきっかけを与えていただいた仙人。
火事場の馬鹿力について考えるきっかけを与えていただいた兄貴。
ご声援をいただいた南伊豆の方々。
共に頑張れたランナーの方々。
おバカな挑戦を理解してくる家族。

みんなが私の宝物です。
本当にありがとうございました!

性懲りもない私は次のおバカ探しを続けます。

さて、次はどんなおバカに挑戦しようかな・・・(笑)


本当に完!!

PS
長々とお付き合いいただいた読者の方、ありがとうございました。
全てが私の言語で感覚的なところですが、何かを掴むきっかけになれば嬉しいです。

ご感想などお待ちしておりまーす!
無茶な企画も募集してまーす!^^