小さい頃から・・・


近所のおばさんや親戚の人、学校の先生に「しっかりしてるね」って言われた。


しっかりしてるつもりなんて全然無いんだけどね(_´Д`)ノ


ただ、私はいつもムリをするらしい??


基本的に人を頼ったり甘えるのが苦手なんだよね。


それは今も現在進行形。


共働きで鍵っ子だった私は「家に帰って誰もいないのが寂しい」って母親に言えなかった。


大好きだから、母親を困らせたくなかった。


だから・・・


「ねぇ・・・ママ。妹か弟が欲しい。」


とよく口にした。


妹か弟が出来れば、母親は仕事を辞めて家にいるような気がしたから。


だけど、鈴木家に3人目が誕生する事はなかった。


正確にいえば、私が4人目。


母はいつの日だったかこんな事を言った。


「パパもママも子供が大好きだし、兄弟がいっぱいいたら楽しいだろうと思ってたくさん子供生みたかったんだけど、残念ながらママは子供が出来にくい体質みたい。お姉ちゃんの前にも2人授かってるんだけど、2人とも流産してるの。あの時は本当に辛かったな~。2人目の流産を期にママの体は無排卵になってしまって、お姉ちゃんもあなたも排卵誘発剤を投薬してようやく授かった子なの。だからね、無事に生まれて来てくれた時は本当に嬉しかったし、愛しくて愛しくてたまらないの。本当はあなたが小学校の高学年になるまではサロンを構えず、自宅で仕事したかったんだけど、お客様が増えていたし、エステをやるにはサロンを構えなきゃ間に合わなかったの。寂しい思いさせてごめんね。」と。


これを聞いて、母親も本当は家で子供の帰りを待っていたかったんだろうな~って知った。


それにね…家族で旅行行ったり、好きな習い事させてもらったり、欲しいモノはある程度与えられる恵まれた環境だったのはママが働いていてくれたからだと大人になって気付きました。


姉の前に出来た2つの命が無事に誕生していたら、4人兄弟だった。


だから、私は生まれて来れなかった命の分まで人生を充実させながら生きなきゃなんて想ってる。


生まれたくても生まれて来れなかったお兄ちゃんの為に。


生きたくても生きれなかったお姉ちゃんの為に。


それが、生みたくても生めなかった両親への1番の親孝行だと思うから。


母親が…


『子供は親の所有物ではないの。自分の分身みたいだけど、一人の人間。自我もあれば意志もある。だから、何かを押し付けないように一人の人として尊重しながら子育てして来た。あなた達はいくら反対をしてもやると決めたら反対を押しきってでもやる強さを持ってくれた。失敗してもいい。やり直しはどこからでもできるから。だから挑戦する事を恐れないで…』


と言ってくれた。


『世界中の全ての人が敵に回っても、ママとパパはあなたの良き理解者であり、味方でいたい』


と言ってくれてた両親。



強く生きれてるのは…


そんな両親のおかげです。


パパ、ママ、ありがとう♪