ご無沙汰しておりました![]()
最終更新日が2022年?マジかー。。。
ド直球でご報告させていただきます。
父が亡くなりました。
2024年の10月末でした。
いよいよ食べられない、動けなくなり、入院を勧められたので入院させることにしたのです。
比較的元気で、本人は1週間ぐらいで退院するつもりでした。
我々はもしかするといよいよか・・・と思っていましたが、入院したらしたで食欲も出て元気になり・・・あれ?と思えるぐらいに回復してくれたのです。
まあ医者からの話を聞いていた私と姉からしたらもう退院は・・・ってとこでどうしてやることもできなかったのですが。
そして亡くなる三日前、当時の彼氏に病院に連れてきてもらった私は飲み水の追加を渡そうとしたのですが、減ってない・・・
前回来た時にはがっつりなくなってたのに・・・
そしてどうやら腹が痛いらしい、と。嫌な予感です。
とりあえず痛み以外は元気そうな顔だったのでまた来る~って帰ったのですが・・・
次の日の朝、姉から担当医から激しい痛みを訴える父の様子を聞いて、緩和への移動を提案されたといわれました。
モルヒネでの痛みを緩和させすこしでも苦しみをまぎらわせるためです。
緩和へ行ったらもう回復はないと言えますが、病気を持ったまま長生きしてくれる可能性も・・・と。
ただモルヒネを投与すればほとんどの場合意識がなくなり、人相も変わってしまいます。
長く痛みに苦しませるわけにもいきません。
私は緩和への移動に同意しました。姉も迷っていたようでしたが、痛みに苦しむ父をみていられなかったのもあるでしょう。
その日の夕方、仕事終わりに姉が見舞いに行くとまさにのたうち回って会話にもならず・・・と、もしかするかもしれんからあんたらも顔出しに来い!っ迎えに行くから!と電話がありました。
母の尻を叩き急いで準備して姉が帰宅したら即病院へとトンボがえりしてもらいました。
見舞いは一度に2人まで。
姉には待機してもらい、母といっしょに行きました。
まさにのたうちまわる父がいました。
担当医の先生に聞くと、やはり緩和へ行った方がいいのではないか、とのこと。
その日は何もできないので自宅へと帰りました。
帰り際、父に「お父さんまたくるから!」と声をかけると、「ぅああ!」と唸ってるのか返事したのかわからない返事をもらいました。
まあそれが最後の会話だったのですが。
次の日、父は緩和へと移動し、駆けつけるとすでに安らかな顔して寝ていました。
ああもうだめなんだなと悲しくなりましたが、痛みに苦しみ続ける姿を見るよりはいいかなと・・・顔に似合わず結構ヘタレな父なんで、本人も痛いのは嫌だったはずだと、思っています。
その日は深夜まで付添い、午前2時ごろに私と姉だけ帰宅して風呂に入り仮眠をとりました。
午前4時ごろだったでしょうか、病院から姉の携帯に電話があり、父が息を引き取ったと。
ああ、とうとうかと思いながら二人で急いで病院に向かうと、まだ準備されていない父が病室にいました。
それから担当医の先生が臨終の時間を言い、あとは葬儀社の方が引き取りに来るのを待ちました。
偶然にもその日は父の母の月命日でした。ああ、連れてってしまったかなぁと言いながら、それからの段取りに頭を巡らせました。
葬儀社に一度相談しに行ったときにはホールで葬儀をと話してたんですが、入院中ずっと自宅に帰りたがっていた父のこともあり、狭いけど自宅でやるか~と姉と考え直したのです。
なので念のため、緩和に移る話を姉から電話されたときに葬儀社にもそのまま電話をしてやっぱ自宅でしたいですと言ってたのが良かったのか、スムーズに通夜葬儀準備をしていただきました。
意外に泣けないんですよね。
急だったこともありましたが、泣きそうにはなっても涙が途中で止まる。
でもふと思い出すと泣けてくるんですよ・・・
その後は通夜葬儀その他諸々、逮夜に49日、骨納め、初盆・・・目まぐるしく進みました。
もう再来月には1周忌です。
ものすごい忙しさでした。頼れる親戚もいないし二人であっちいきこっちいき・・・
人って生きてても金がかかるし、死んでも金がかかるんだなって実感しました。
不謹慎な!と思われるかもしれませんが、ぶっちゃけ当事者になった時にものすごく実感したんです。
祖母の時には両親がやってましたが、今では姉と私が動くしかなく、保険金も大した額がなくて支払いもほぼ姉頼みでした。
年老いた母はお金は使っても稼ぐことはしませんし、私は援助するようなお金もなく・・・
姉には本当に申し訳ないことをしました。
二人とも結婚することもありませんし、跡継ぎになる親戚もいません。
墓じまいも永年供養も今後私たちで手続きしていかねばならないと思いと気が重い・・・
でもあんなに腹の立つ、憎らしくあった父ですが、亡くなってしまうと寂しいものです。
今ではいい思い出話ばかりです。
人は亡くなると美化されるんでしょうかね。いい思いでしか話に出ない。
恐ろしいのがまだ生きてる母の思い出がほぼほぼないこと。
まだまだ頑張って生きてほしいですがいざそうなったらやべぇな![]()
今後ぼちぼちブログも復活出来たらいいなー![]()