私は山々に囲まれた田舎にて生を受けました。

母は三人目の私を身籠(みごも)り、普通にお産の日を迎えたのです。

 

私を取り上げた産婆さんは、何も言わずに生まれたばかりの赤ん坊を母に抱かせたのです。

母は私の姿を見て深い悲しみに陥りました。それは体中に黒い痣(あざ)ができており、大切な顔にも黒い痣が斑点となってできていたのです。

 

その時家族は、祖父、祖母、伯母、両親、兄二人と、合わせて八人いました。家族の皆も驚きました。

私の名前は父が笑う子になるようにと願いを込めてつけてくれました。

 

祖母は母のことをいつも敵とみて扱っていたようです。そんな日々に母も疲れていました。

生まれて間がない私を寝かせ休んでいる部屋に祖母が入って来て母に向けて

「こんな子供がおったら困る、早いこと死なせるがいい」
と冷たく言ったのです。母は
「どうすればいいのですか」
と聞き返しました。すると祖母は
「お乳をあげなければいい」
と言葉を残して部屋を出て行ったのです。

女の子だし将来苦労することはわかっているので母も迷ったようですが、火がつくように泣く私を見ると最後の決断はできなかったようです。父は
「何があっても育てよう」
と言い、それから両親の闘いは始まりました。

 

 

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選評

人と見た目が違うというだけで、人生のあらゆるステージで、たくさんの排除や差別を経験してきた筆者。

そのエピソードのひとつひとつが、読む人の心にひりひりと重たく沈殿して行く。しかし、六十六年の人生を綴った文章は、淡々とし実に読みやすい。

彼女の「心は自由に変えることが出来る」という言葉は、たくさんの差別を受け続けてきた人の力強さと優しさを感じ取ることができる。

大変つらかった経験を丸ごと投げだしてくれたことは、これからの社会のあるべき姿を考える種が広く撒かれたといえるだろう。(北岡 賢剛)