昭和時代の母親 その2  

 

 

 

 

考えや対応も全く違う 

🙂 サクラ

私も40代です。 

私が小学生のころは、小学校に変質者が出ました。 

露出してたり、いろいろして、小学生に見せるのです。 今なら即通報、不審者情報が即座に共有され集団下校や保護者のお迎え、 自治体や警察のパトロールがまわります。 でもあの時は、変態がいる~と子供達は言う程度、学校や親も苦笑いでした。 時代が違うとはいえ、凄い差ですよね。

 

 

 

 

世間の目 

🙂 匿名

数十年まえまでは傷物って言葉がありました。 

もしかしたら、警察沙汰にしたら、世間から実は未遂ではなくあの子はあんなこともこんなこともされた、お嫁には出せない少女だよって校区や近所から噂にされるのを恐れたのかな。 

昔は被害に合う方にも油断があると言われる風潮ありましたしね。

 

 

 

 

当時 

🙂 めぐ

50代ですが、私が子供の頃は、小学校でのパンツめくりは普通。

女性が痴漢されるのは「女が挑発したんだろう」と言う時代でしたからね。

 

漫画の主人公は変態でした。 

 

一年生の頃、通学路に痴漢が出没したようで、朝の会で「ちかんにきをつけましょう」という話はあったのですが、そもそも「ちかん」とは何かと言う説明がなかったので、皆、「ちかん」とは、野良犬か何かの野生動物だと思っていました。(田舎だったので、「狂ったような野良犬がいたら狂犬病かもしれないから塀の上に逃げましょう」とか「木の上からマムシが降ってくるかもしれないから、林を歩くときは注意しましょう」とかいう訓示はいつもあったのです)

 

 でも、トピさんの連れ去り未遂は警察でしょう。 とはいえ、あの当時、警察に行っても、嫌な思いをするだけだったのでは、と思います。なので、皆、泣き寝入りしたわけですから。そして、お母さんも色々痴漢経験していて、娘にどう接したらよいか分からなかったのだと思います。

 

 

 

 

うちも

 🙂 ぴぴ 

私30代、母60代。

私も中学からずっと

変質者に付きまとわれています。

追いかけ回されたって、風呂を覗かれたって、警察を呼んだのは姉が風呂上がりに写真を取られた時の1度きり。

1人?の変質者は我が家の敷地内に入ってきていて、門から出てきた所に遭遇した事もあります。(遭遇時は電話中、夜で姉の旦那かと思った)

私か車に乗った時、ブレーキランプを踏んだら車の後ろに立ってた事も。全部母に伝えました。

でも警察に通報はしてくれなかった。

周りの目を気にしている、または大した事ないと思っているのでしょうね。

 

それにしても父…。

守っていたのかもしれないけど父も母もおかしいですよ。

トピ主は娘さんを守ってあげてください。

 

 

 

親告罪だったからではないですか

 🙂 ぎんねこ

性暴力だと昔は親告罪でした。

被害を訴えて、あったことを逐一証言して初めて立証されるもので、警察に事情聴取されたり、裁判で証言をしたりすると、ものすごく被害者が精神的に傷つくものです。

自ら不名誉を申し出るようなもので、お母さんとしては、いま目をつぶってしまったほうが、被害が少ない と思われたからだと思います。

 

あなたの中の真実と、不名誉をはかりにかけたら、どちらが重いかだと思いますよ。 

 

私自身高校生のころ短大生のころ、電車の中で何回か痴漢にあいましたが、親にも言わなかったと思いますが、友達とは、地下鉄の何両目のこの時間帯、絶対にいるよね~と学校の友達同士話したかな。

今だったら、世間体もなくなるぐらい加害者は糾弾されるんですよね。 

 

お母さんの価値観は、性暴力が親告罪であった頃の価値観だと思います。今はMe too運動とかあったり、女性たちが糾弾に動き出しています。

また今だと色仕掛けもわいろの一つと、世の中も公正になってきていますね。

 

男女が平等になりつつあるんだと思います。

警察もハラスメントにならないように、事情聴取や人権配慮に気を配るだろうし、昔の男性優位の社会とは違うと思います。

 

 

 

 

評判になるのが嫌 

🙂 フィヨルド

私の義姉が高校生の時に性犯罪未遂にあって、義母が警察に通報しようとしたら義父が止めたそうです。 

未遂で終わったんだし、そういう被害に遭った子と近所で評判になったらそっちのほうがまずい、という判断のようでしたが、義母は歳をとってからも憤慨してましたね(夫婦仲もよくなかったけど)。 

田舎なので、噂話はあっという間に広がるのでしょう。 

私が高校生の時も家の周りを同級生の男の子がうろつくということがありまして、私の父は怒ってましたが母は「うちの娘はモテるから」とかとんでもない勘違いで喜んでました。

 

 はっきり言ってどうしようもない思考です。

私は気持ち悪がっているのに。

 

 

 

 

亡くなった母も同じでした。 

🙂 おばさん

亡くなった母も同じで、痴漢等の被害に遭うのはこちら側が悪く恥だという考えでした。 

 

中学の頃、歯医者に触られ母に訴えても全く信じて貰えず病院も変えて貰えませんでした。 

 

電車内で痴漢に遭ったら即その場を離れるように言われました。性被害にあうと傷物になると思っており、警察に届けを出すなどという事は全く考えていませんでした。 

 

晩年、孫(私の娘)がもし痴漢に遭って訴えたら、その人は捕まるという話をしたら驚いていました。 

昔はセクハラなど当たり前の時代で、大手企業に勤めていた時にも色々ありました。 

今は女性にとって良い時代になったんだと思います。

 

 

 

 

少年犯罪、未遂 

🐱 子ども時代

昔、子どもの頃は貧乏で、両親は家事に仕事、子どもはほっとかれました。

 

大怪我や大病した時は、病院へ。

 

小1の頃、友人と学校の中庭滑り台で遊んでいたら、中1男子に1人ずつ呼ばれ、校舎の裏手に手を引かれ襲われそうに。

泣いて抵抗し、目を離した隙に、ふたり走って逃げましたが、すぐに見つかり石を投げられ当たるところでした。危なかったです。

親は子供に無関心だったから言えず、今でもトラウマ恐怖体験です。犯人の顔や住む家は、田舎で分かります。

 

 

 

 レスします。

ぐすん杜の中の家

同じく40代、既婚、子持ちです。 

幼稚園位の時に某大学近くの公園で事件が。

犠牲者は ご近所の女子大生。 

まあ親の考えたことはわかりますが、幼稚園の私、小柄。 

速攻、近くの芦屋の警察道場(住んでいたのは神戸市ですが 芦屋は隣町。徒歩15分位)の子供教室に、剣道と柔道を習いに行かせられました。

 

私の高校時代、 長身の割に極細体型で弱弱しくみえたのかな? 色も白いし。 バイト帰りに駅から後つけられて。 その時は父の転勤で名古屋の高級住宅地在住。家までの道は 芦屋 屋敷街のため誰も通らない。 で、ダッシュで駅近くまで戻り、明るい電気がついたドアに飛び込み…

そこは麻雀屋さんでした。凄く親切な女主人さんが、様子をみてくれてまだいるのを確認。 

自宅に連絡といわれましたが、親は心配するだろうし、送って頂きました。

 

もう1度は、神戸でです。
いきなり車に引っ張り込まれそうになり、あまりにも突然でした。私はドアに足をかけ、犯人の腕がでた状態でドアを蹴とばした所、相手が骨折されました(敬語も変よね)。
誰かが通報のパトカー先着、警察官が救急車要請。過剰防衛したかな? と心配しましたが、犯罪を未然に防いだ、ということで褒められました。ただ、親はやはり、名前がでるのは防御。まあ 武勇伝として友人には話した。

 

 

 

 

私もよく狙われてました 

🎶 ポップコーン

私は昭和40年代生まれ、成長が早く、7歳頃から痴漢やらの被害に遭いました。

 1番ショックだったのは、駅前の人通りが多い道を母と歩いていた時、 通りすがりの男性に胸を掴まれた時。母が何のリアクションもしなかったんです。 親になった今、私だったら「何をするんや〜!」って腕を捻じ上げて、 「110番して下さい」と叫んでいると思います。 

 

三年生か四年生の頃、泥棒が深夜に入った事があったのですが、 今、記憶を辿ってみると、アレは泥棒ではなく変質者か痴漢だったんですよ。 その時も、なんか有耶無耶な雰囲気の両親の対応だったのを覚えています。 泥棒がなんで私の寝てる所を覗いていたのか?とか不思議だったですね。 親に聞いても答えてくれませんでした。 

 

連れ去り未遂、私もありました。

今思うと、よくもまぁ、無事で生きてるなぁ、 と自分でも驚いています。 

 

昔は性被害に合ったら被害者にも過失がある、と言う風潮だった、と言うのが 理由だったとは思います。

でも、私が心に傷を負ったのは事実で、それを癒すのに すごく時間が掛かったのも事実です。

私は母に相談をするのを小学生で辞めました。 相談しても、母に怒られるだけなので。

私はそれを反面教師として、自分の子供には、 いつでもどんな事でも相談してもらえる関係でありたいと、頑張っていきます。

 

 

 

 

自己責任というか自己完結というか 

🙂 ピーナッツ

昔は、痴漢被害もそうだけど、なんでも「被害者の自衛不足が原因」と片付けられてしまう出来事が多かった気がします。 

 

たとえば今でこそオレオレ詐欺は詐欺師のほうが絶対に悪いと認識されていますが、一昔前まではひっかかるほうが間抜けだ、簡単に人を信じてしまうからだと嘲笑されていました。 

 

子供の万引きも微笑ましいイタズラとされていて、そんなに盗られるのがイヤなら店側も対策をするべき、それを怠っている以上は万引きされても仕方がないんだから簡単に通報などするな、子供の将来を潰すなという意見も多かった。 

 

主さんのお母さんも、娘が誘ったとまでは言わないまでも、防げるはずだったことを防げなかったこちら側(こちら側、というのは娘も自分も含めて)にも落ち度があった、という意識があったのかもしれません。 

 

私はそういう加害者を甘やかすような考え方は大っ嫌いですが。

 

 

 

 

 

時代でしょうね・・ 

🐤 kiki

トピ主さんと同年代です。 

私も子供の頃からよく痴漢などにあっていました。 

関東の都市部に住んでいますが、当時の親って、今とは違って子どもは放置気味な親が多かったような気がします。 

うちの親は、子供がどこで遊んでいるとか誰と遊んでいるかとか、知らなかったと思います。

 私もいつも「遊びに行ってくるね」と出かけ、門限までに帰宅すれば何も言われない日常でした。 

幼稚園から小学校低学年頃まで数年間、近所の人にいたずらされていましたが、当時はその意味がわからなかったのですが、恥ずかしく感じて親には言えませんでした。 (親はまったく気づいていませんでした。今でも知りません。) 

 

トピさんはお母さんにも話して、高校生頃には自分で警察に行くとは、とても行動力がありますね。 私は諦めの気持ちで、なあなあにしてしまいました。 親に話したところで、通報はしてくれなかったと思います。 

 

昔から住んでいる土地なので、大事にしたくないのもあると思います。

 

 

 

 

その時代に母親として生きてないと分からないかも。

 🙂 なつのおわり

今でこそ、 「性犯罪は女性にも原因がある」なんて言ったら大炎上になるし、 警察がろくな対応してくれなかったらSNSで晒されて問題になるし、 テレビのニュースでさえSNSからの話題を抽出し特集する世の中ですが けど、昔は 女性の性的な部分をウリにしたテレビ番組はものすごくあったし、 酷い目にあっても「お前が油断したから悪い」と平気で言う男性は多かったし、 亭主関白なんてめずらしくない世の中だった。 

 

女性の中には、そういう世界が当たり前だと思って我慢してきた人も多くいたのでは。 (もちろん、当時でも娘に寄り添って、警察に連絡してた母親もいたでしょうけど) 

 

私は前者の時代に産まれ、生きてきたので 当たり前のように、 娘がそんな被害を受けたら警察に連絡するし、 「お前が悪いんだ!」なんて言う夫とは離婚するし、 ていうかそもそもそんな亭主関白系の男性と結婚なんて考えられない。 

 

もしその時代に生きていたとしても、 娘に絶対に寄り添って守ります!って言えます。 けど、 もし後者のような時代に産まれて生きていたら…? もしそんな亭主関白な男性と結婚していたら…? どうしていただろう…と思うと。 

ぶっちゃけ分からないです。 

 

トピ主さんのお母様がどうだったかは分からないけど、 「私だったらこうするのに」って お母様を引き合いに出して、 期待して落ち込むのはしんどくないですか? 

もう、”そういう人なんだ”って距離を置く方が 精神衛生上、良いように思います。 

 

その時代、そうやって生きてきた女性に 何を言っても、望む答えは返ってこないんじゃないかな。